たかぎりょうこの住友グループ探訪
住友金属鉱山 ニッケル工場

電解製錬により、高純度な「電気ニッケル」と「電気コバルト」を生産する、
国内唯一の工場。愛媛県新居浜市に位置する。

住友金属鉱山 ニッケル工場
  • 住友金属鉱山 ニッケル工場
ニッケル原料

電気ニッケルと電気コバルトの主原料である「MS(Mixed Sulfide:ニッケル・コバルト混合硫化物)」。「MS」は、ニッケルを約60%含む砂粒状の原料で、フィリピンの関係会社で生産されている。

「まるで迷路〜!」

工場に入ると、配管が縦横無尽に走っている。それは工場見学を続けている私にとって見慣れた風景のはずなのに、なんだか敷地内を回れば回るほど、何かが足りないような違和感があった。その理由は、電気ニッケル(電解製錬して作る高純度なニッケル)を生産する工程の、ある建屋に入ったときに分かった。「あ、音がほとんどしないんだ!」。これまで見学してきた工場は、たいてい大きな動力プラントであり、組み立てたりプレスしたりする工程で、かなり大きな音や振動があった。

今回も見学する前から、住友金属鉱山さんは鉱山というくらいだから鉱石を切り出すイメージで、工場内も大きな音がするのだろう、と思い込んでいたのだ。しかし、これがびっくり。まるでそんな音はしないのである。
「この工場は静かですねぇ~!」と思わず口にすると、「それは、MCLE法という製錬方法で、電気ニッケルを作っているからですね」とのこと。

MCLE(Matte Chlorine Leach Electrowinning:マット塩素浸出電解採取)法とは、簡単に言うと、塩素を利用して原料中のニッケルを溶かした後に、電気分解させる溶液の中に、プラスとマイナスの電極を入れて液中に電気を流し、マイナス側にニッケルを電着させる技術だという。また、電極となるニッケル板は、「種板(たねいた)」と言うそうだ。なるほど、ここで電気ニッケルを作るのは、焼いたりたたいたりする方法ではなくて、溶液の中で、イオンの働きにより電気分解して採取する方法なのか。

ちなみにこのMCLE法の良いところは、まず純度の高い電気ニッケルを効率よく生産できること。そして火を使わないところ。一方でリスクとしてあるのは、化学変化を利用しているため、塩素や各種薬液の管理と対策は特に厳重に行う必要があるとのことだった。

そんなお話を聞きながら、溶液の入った電解槽をじっと眺めていたら、「人も規律正しく働いているけれど、ここで一番休まず働いているのは、溶液中のイオンたちなんだなぁー。24時間ずっと電気分解し続けて本当にお疲れさま」とねぎらいの言葉をかけたくなってしまった。

工場内
電解槽で種板(薄いニッケル板)にニッケルが電着して、厚み1cmほどになったところで一斉に引き上げ、クレーンに吊り下げて洗浄場所まで運ぶ。
「工場内は安全な服装で巡りました」
「ニッケルってこんなところに使われてるんだ」
飛行機 ステンレス鍋 500円硬貨

ニッケルの用途

ニッケルは、私たちにとって身近な「ステンレス製品」や500円玉などの「硬貨」から、ハイブリッドカーや電気自動車の「電池材料」、飛行機のジェットエンジンの材料となる「耐食耐熱合金」まで、幅広く用いられています。

工場内は化学記号がたくさん!

「この中を原料が……!」
「工場内を歩いていると 塩酸!?」
「ここにも化学記号が」
「なんだか理科のテストされてるみたいだ~」
電気ニッケルの製品
電気ニッケルの製品。
硫酸ニッケル
メッキや電池材料用途の硫酸ニッケル。
水酸化ニッケル
主にハイブリッド自動車に使用される、水酸化ニッケル。
ニッケル酸リチウム
主に電気自動車の電池材料に使用される、ニッケル酸リチウム。

別子銅山記念館で
住友グループの歴史に迫る
別子銅山記念館で住友グループの歴史に迫る

別子銅山記念館内
6つのコーナーに分かれる、別子銅山記念館内。
東平(とうなる)貯蔵庫・選鉱場跡
別子銅山の山中に位置し、東洋のマチュピチュとも呼ばれる、東平(とうなる)貯蔵庫・選鉱場跡。

なんて素晴らしい環境なんだろう。別子銅山記念館に到着して最初に感じたのは背後の青々とした山から放たれる清々しい朝の空気だった。あの山々から銅が採掘されていたなんて想像ができない。

けれど、別子銅山記念館に入り、別子銅山を中心とした街の復元模型を見るとそのイメージは大きく変わった。明治中期の諸施設復元模型には、小学校や病院、劇場など人々が集まる大きな施設が山を中心に配されていた。この街には、銅山に関わる人々の生活、文化そのものがあったのだ。その頃できた病院は今でも住友系列の医療機関として存続しているという。まさにここは住友の街だったのだろうなぁ、と想像した。

別子銅山記念館では、初めにこの銅山を発見し、住友が永代稼行(かこう)の認可を受けるまでの苦難や、その後次々と襲いくる銅山経営危機が、数々の資料から伝わってくる。そのたびに、住友には自分の身を顧みず会社のために諫言(かんげん)する忠義の人がいて、銅山は結果として住友の宝として守られてきた。
別子銅山は住友グループの歴史の源流に位置するのだろう。ここに来れば、脈々と続く住友の事業精神や、そこで働いた人々の思いが来場者の心に流れ込む。そして銅山としての使命を終え、植林による再生を経て今もゆったりとたたずむ山々は、人々の生活をこれからも見守ってくれるだろう。

別子銅山の坑道

明治中期まで別子銅山の坑道では、1日3時間ずつ8交代制で、地底の湧き水をくみ上げていた。(住友史料館所蔵)

「3時間なんて無理〜」

編集スタッフの取材後記

別子銅山記念館
サツキが香る、別子銅山記念館。
工場の原料とたかぎさん
ニッケル工場に到着したばかりの原料と、たかぎさん。

今回伺ったニッケル工場の静けさには、制作スタッフ一同も大変驚きましたが、今でも印象に残っている音があります。それは、ある建屋でのこと。電解槽から種板を引き揚げて洗浄場まで移送する間、周りのみなさんの注意を促すために鳴っていた、工場には不釣り合いな妙に明るいメロディ(電子音)です。たかぎさんはその様子を「巨大なクレーンゲームみたい!」と、うれしそうに表現されました。


一方、工場から足を延ばして伺った別子銅山記念館には、別子銅山が稼行認可を受けた5月にちなんで、屋上にはサツキが約1万本植えられています。


ちょうど花が咲き始めた頃で、ほのかな香りが広がっていました。人気の撮影スポットになっているそうで、カメラを持った方々の楽しげな姿があり、私も思わずスマホで撮影してしまいました。

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