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全国盲学校弁論大会特別協賛

弁論を読む 第74回(2005年) 全国盲学校弁論大会

<優勝> 犬の耳が欲しい

【北海道地区代表】北海道札幌盲学校中学部3年 柴田裕里さん(14歳)

私は犬のような立派な耳が欲しいと少し前から思い続けています。まあ、欲を言えば犬の鼻も欲しいと思ったりします。なぜ、欲しいのかというと、バスや地下鉄の歩行訓練をした時、「ここは音によく注意して歩いてごらん」と言われ、音が聞き取りづらくて、「こんなときに、犬の耳があったらいいな」と思ったからです。

犬の聴力は人間の約3000から4000倍。人間には聞こえない超音波まで聞き取れ、さらに耳を動かす筋肉も私たちの2倍もあるので、より広い範囲の音を拾い集めることができます。こんな耳があれば、横を通る自転車や人、周りの建物の音が聞こえたり、遠くから誰かに呼ばれても、その人が誰で、どこにいるのかを把握できたりするかもしれません。超音波を聞けるようになったら、普段の生活に変化はあるのでしょうか。

また、鼻の力は人間の約100万倍。遠くからでも飼い主と知らない人とのにおいの区別をつけられるくらいですから、食事の材料やメニューなども簡単に知ることができると思います。そしてきっと、少しぐらい人がいても尋ねたい人をずばり探し出せることでしょう。

もちろんこれは想像した夢です。でも、日常のさまざまな場面をイメージして、「こんな時に、犬の耳や鼻があったら、どんな働きをするだろう」と考えてみるととても楽しくなります。いつか、どこかで、本物じゃなくてもいいから、似たような体験をしてみたいなと思っています。

犬の耳や鼻が人間よりもはるかに優れていることを知り、ますますそれにあこがれながら、私はいつのまにか感覚というものを意識し始めました。

私はいま、自宅近くを流れる豊平川の散歩に結構はまっています。父と兄と3人で約2時間も歩くのですが、遊歩道の幅が広いこともあり、そのほとんどを仲良く横一列に並んで歩きます。春は雪解けで増水した川の流れの音が聞こえ、初夏には水が減り、音が小さくなるとともに若草のにおいがしてきます。ついこのあいだも、父と石投げをして音で川の幅と深さを知ることができました。もう豊平川にもサケが戻ってきているそうですが、私はまだ秋の豊平川に行ったことがありません。木の葉の音が変わって、風が少しぴりぴりとしてきたら、秋を楽しみに出かけようと思います。きっとあの水際の木のにおいも違うと思うのです。

私たち視覚障害者は聴覚やきゅう覚など、自分の持っている感覚で、視覚の足りない部分を補っています。

点字は指先、点字ブロックは足の裏、音響・音声信号は耳、晩ご飯のにおいは鼻、風の強さや冷たさは顔や腕・・・・・・、雨が降る前には少し湿った雨のにおいを感じます。考えてみると日常には、本当にたくさんの感覚があふれているのだとあらためて気がついたのです。そして、そのひとつひとつの感覚を大切にして、いろんなことを知りたい、街に出てみたいと思い始めたのです。

こうした私の思いは、帰省の歩行訓練をとおしてさらに変化していきました。バスと地下鉄の約2時間の道のりは、私の歩行範囲を大きく広げながら、周りのことをもっと知りたいという願いとともに、人とのかかわり合いを大事にしたいという気持ちを生み出したのです。

訓練中、地下鉄の中でおばあさんと、その息子さんが障害者のボランティアをやっていることをきっかけに話が盛り上がったこと。バスターミナルにつながる長い階段を、若いお母さんが赤ちゃんとベビーカーを抱えながら誘導してくれたこと。バス停で乗る順番を先に譲ってくれたおばさん。地下鉄やバスで引きずりこまれるように誘導されてちょっと怖かったこと。よさこい祭りの期間中の訓練で、20人近くの人が声をかけてくれたこと。

これらの体験は、これまで手引きで歩いた時には得られなかったものです。

私はたくさんの方に感謝すると同時に温かく見守られていることを実感しました。そこには、これまでにはなかった積極的に人にかかわろうとする自分がいました。そして、いつかは自分の能力を生かして人のためになりたい、今はそんなに力はないけれど、困っている人がいたらできることは手伝いたいと真剣に考えるようになった自分もいたのです。私がこれから意識しなければならないことは、自分のことだけではなく、社会に目を向けていきながら自分の力を伸ばしていくことだと思うのです。

犬の耳や鼻はあこがれでもあり、夢でもありますが、これもひとつのきっかけになってこれから先、自分と社会がどうかかわっていくのかを考えてしまう私なのです。

<準優勝> かける

滋賀県立盲学校高等部専攻科理療科3年 籾山博志さん(27歳)

僕はかけています、とにかくかけています。視力が欠けているのでメガネを掛けます。時には競馬場を駆けるウマに淡い夢を賭けたこともあります。走ることが好きなので、グラウンドを駆ける事もあります。しかも、まるで天駆けるペガサスの様に1キロを3分で駆け抜けます。ちょっとかっこよく言い過ぎました。そう、そして僕は一生涯をかけて夢をかなえるのです。

僕の夢は先生になることです。小さいときにはだれでもが一度はあこがれた事があるでしょう。僕の周りには「ごくせん」のヤンクミのようなみんなのあこがれる強くてかっこいい先生や金八先生のようにうっとうしいぐらい熱い先生がいたわけではありません。ですがどの先生も、最後には卒業の喜びを僕と共にし大粒の涙を流したのです。いつしかそんな先生に僕自身がなりたいと思うようになっていました。

その夢をかなえるには三つの要素が必要だと思います。僕が思う第1の要素は、あきらめないことです。夢はだれもが持っています。しかしかなえる人はごく一部の人だけです。そのためには自分自身でしっかりと夢を見つめそれを実現するためビジョンを描き、あきらめずに前進する事が大切なのです。視覚障害があっても夢は見つめる事ができるし描くこともできるのです。しかし実際のところ、ほとんどの人が描いた夢をあきらめ、他の事に眼を奪われたりしているのです。しかし、幸いなことに僕は眼が悪いせいか眼を奪われることもなく、先生になるため馬車馬が駆けるように日々勉強しています。

しかしながらやはり1人では夢はかなえられないのです。そこで第2の要素として思う事は、夢を後押ししてくれる人の存在です。みなさんはどうでしょうか? 例えばグラウンドで1キロを全力で駆けるとします。この時1人で駆けると心臓が飛び出すくらいにバクバクいって胸が苦しくなってあきらめてしまうかもしれません。しかしこのときに周りで仲間が声を掛けてくれたらどうでしょう。あきらめずにゴールテープを駆け抜けることが出来るに違いありません。馬車馬だってそうです。時にはムチを入れてもらわなければ駆けることをあきらめてしまうのです。またもや幸いなことに、僕の周りにはムチをいれてくれる先生がたくさんいます。もちろん大きな声で声を掛けてくれるウマの合う仲間もたくさんいるのです。

そして最後の要素は、チャンスをつかむ事です。チャンスはそうたくさんは巡ってこないのです。だからそのチャンスにタイミングを合わせ準備をする必要があるのです。こういうことはないでしょうか? テスト前に徹夜で猛勉強、当日は寝不足で疲れ何も出来なかった事。久しぶりの運動会、「昔は陸上部だったんだ」と張り切るものの気持ちばかりが先に駆け出し、足がもつれこけてしまうお父さん。明日は台風が近づいて来ているので学校が休みになるかもしれませんと言われて朝起きてみると残念、外は快晴、学校へ行くと誰もいない、ニュースでは警報がでていたと言うことを初めて先生に聞かされる。こういったことの無いように、バカの一つ覚えのようにがむしゃらに駆けるのではなく、時にはベンチに腰を掛けて休みをとり、世間や周りに注意深く耳を傾け、チャンスのタイミングをうかがう必要があるのです。またもや幸いなことに、僕は世話話や世の中に対していつも聞き耳をたてています。馬車馬のように勉強しムチで打たれウマの合う仲間がいる僕ですが、耳だけはまだウマの耳にはなっていないようです。だからタイミングを合わせチャンスに手を掛けることが出来るに違いありません。

これら三つの要素の一つでも欠けては夢はかなわないのです。だからこれらのことを心がけるようにし夢への架け橋を架けるのです。そしてこれからも全力で「かけること」を続けるのです。最後になりましたがここで一つ。「かける」とかけまして、終わりのあいさつと説きます、そのココロはそろそろお時間です。ここでバイバイ(倍々)です。お後がよろしいようです。

<3位> 180度の転換

【関東地区代表】千葉県立千葉盲学校高等部2年 石川龍海さん(17歳)

私の全身は耳、車内のざわめきなんて全く気になりません。音の心地よさを楽しんでいると、脈拍が次第に強くなり、何か豊かなものが自分の中からあふれてくるような感じがします。「あー、3週間ぶりに仲間に会える」

中学生のころの私は、とても狭い世界で生きていました。ですから、一般教養や雑学が今以上に不足していましたし、人とかかわる機会も決して多くありませんでした。鉄道が大好きなのに、趣味を共有する友人は誰もいません。毎日寂しい思いをしていました。

そんな私に転機が訪れたのです。高校生になった去年の5月、先生から、「ねえ、石川君。君は鉄道が好きでしょう。仲間を探すのにもちょうどよい機会よ。それに代議員会参加は、井の中のカワズではなくなる貴重な体験、ぜひ行ってみたら」と、関東地区盲学校生徒会連合代議員会への参加を強く勧められました。鉄道について話せる仲間を得ることは、長年の夢です。6月、大きな期待を抱いて、私はオブザーバーとして会に臨みました。

「いました」。自己紹介や休憩時間のおしゃべりで見つけました。しかも2人もです。私にとっては大きな出会い、胸が高鳴り、不思議なことにいつもと違って言葉がどんどん出てきました。1人は情報入手がすばやく、ものすごく知識が豊富です。JRしか知らなかった私に、多くの私鉄情報を教えてくれました。もう1人は「視覚障害者鉄道愛好会」を紹介してくれました。それは名の通り、鉄道を趣味とする視覚障害者が集う組織です。即座にメーリングリストに名前を登録、私の趣味の輪がさらに広がり始めました。

春休みの平日、私は単独で東武、東急、京急の旅を試みました。ところが、埼玉県の川越駅でアクシデント、一心同体の白杖(はくじょう)が、薄情にも折れてしまったのです。いやー、そんな冗談を言ってられません。なぜ折れたのか考えるゆとりもありませんでした。私は困りました。焦りました。あっけなく折れた白杖を片手に、しばし呆然としました。しかし、「なんとかしよう!」「池袋のデパートでガムテープを買えば、つなげる」と腹をくくりました。けれども、目の前にある物や、下りの段差が測れません。緊張で汗をぐっしょりかきながら、長時間かけて慎重に慎重にデパートにたどり着きました。そして、ガムテープでぐるぐる巻になった杖で計画の大半を実行しました。家に着いた途端、「ふうー」、一気に力が抜け倒れ込みました。

早速、そのことをメーリングリストのメンバーに打ち明けたところ、「大変だったね!」「外出時は、予備を持っていると安心だよ」などなど、励ましや生活の知恵をいただき大変参考になりました。が、一番の収穫は変化しつつある自分自身に気づいたことです。以前の私でしたら、即座に引き返したでしょう。自力での白杖事件解決を晴れがましく思いました。

視覚障害者の方々との交流が軌道に乗ったころ、ある小学校長さんより「平日で申しわけないんだけれど、ぜひ、私の学校に来て話をしてほしい」と依頼がありました。それは教師である母の手伝いでJRC活動に参加し、手引き歩行のアシスタントを務めていた日のことです。私の周囲には、「おれたちは見せ物じゃない!」と言う人たちがいます。しかし、私はそう思いません。「一緒に生活しないからお互いによく理解できないんだ」「ノーマライゼーションはかけ声だけではだめ、とにかく共に過ごすことが一番の早道だ」と考えます。

授業は欠けるし、自信もありませんでしたが、私はギターを抱えて出かけました。当日、校長先生から「石川さんは、廃止直前の寝台特急で博多まで行ってきたんだよ」と紹介があった時、子供たちからどよめきが起こり、私の緊張が「すーっ」と解けました。ギターを弾き語りながら、「歩行や点字などの特別訓練をすれば、援助を求めることがあっても、基本的なライフスタイルは普通の人と変わりません」と話しました。低学年の児童には少し難しかったかもしれません。けれども、視覚障害者の生活を一人でも多くの人にアピールする機会が与えられたことは、とても感謝しています。

高校生になり、転機を迎えてから1年が経ちました。小学生の前で偉そうに「訓練すれば何でもできます」とは言ったものの、私自身は今でも多くの支援を必要としています。人に背中を押されて、やっと針あ5度、6度と振れ始めたところです。一回転すると以前の指示待ち人間に戻ってしまいますから、180度先が私の目標の「自立」です。まだまだ先は遠く、厳しいでしょう。しかし、私は子供っぽいかもしれませんが、大好きな電車の音に耳を傾け旅することを楽しみながら、生活空間を広げ周囲の人々に感謝しつつ、180度の転換を目指します。

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