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全国盲学校弁論大会特別協賛

弁論を読む 第82回(2013年) 全国盲学校弁論大会

<優勝> 笑顔

【関東・甲信越地区代表】 茨城県立盲学校 高等部普通科2年 山口  凌河さん(16歳)

僕は笑顔が大好きです。

僕がなぜ笑顔がとても大好きかというと、こんな体験をしたからです。

僕は小さい時から野球ばかりやっていて、中学校に入学し、もちろん!野球部に入りました。野球部ではキャプテンになり、勉強よりも野球、え? 勉強よりも野球? いやいや、中学生の本分は野球でしょ? と考えているぐらいの、いわゆる野球ばかでした。

そんな野球を取ってしまったら何が残るのかと考えてしまうぐらいの僕が、大好きな野球ができなくなりました。なぜなら中学3年の春に、病気でだんだん視力が低下していったからです。目だけは良かった僕が、ある日ボールが見えにくいことに気づきました。

でも僕はそのことを隠しながら野球をやり続けましたが、だんだん見えにくくなっていることに友達も気づき始め、とうとう監督の知るところとなり、試合には出られなくなりました。キャプテンであるにもかかわらず、最後の試合でプレーできないという無力感と、大好きな野球ができないという寂しさで何もかもが嫌になりました。

自暴自棄になっていた僕に、野球部の仲間や友達が「とりあえず笑え」と、ばかみたいに前向きなことを言ってくれました。僕は心の中では「笑えねえよ」と思いながらも、みんなでいつもいつも楽しく笑っていると、目が見えなくなったから、そして大好きな野球ができなくなったからと言って落ち込んでいる自分が情けなく思えてきました。これから楽しいことがいっぱいあるじゃないかと心の中で前向きに思えるようになり、知らず知らずに毎日を笑って過ごしている自分がいました。きっと僕を支えていてくれたみんなの笑顔が僕を救ってくれたのだと思います。こうして僕は立ち直ることができました。

だから僕はこう思うのです。つらい時こそ笑い、苦しい時こそ笑えば湿った心も笑いで乾くことでしょう。だからこそ笑って笑って楽しく生きてゆきたい。

「生きてるだけで丸もうけ」。この言葉は、僕の憧れの人である明石家さんまさんが言っていた言葉です。

泣きながら裸で生まれてくるので、人生の最期は笑いながらパンツ1枚で迎える。これが最高の人生だとも言っていました。

僕はこの言葉を聞いた時は、心がざわめきました。

なぜなら、世の中にはこんなにも前向きで、笑顔を大切にし、そして笑顔を絶やさない人がいると知ったからです。僕は、このことを周りの人にも伝えていけたらよいと思いました。そして、僕はいつもいつも笑顔を絶やさない人になりたいと思います。

会場の皆さん、いつ笑うんですか?  今でしょ。今笑ったあなた、その笑顔を大切にして、ずっとずっと、笑っていきましょう。笑顔。

ご清聴ありがとうございました。

<準優勝> 頭・中(かしら・なか)

【東北地区代表】 岩手県立盛岡視覚支援学校 高等部専攻科理療科2年 千田 光さん(42歳)

「これは僕の手にはおえないね」

思いも寄らない医師の言葉に、頭が真っ白になりました。

2010年春、仕事を終え、深夜帰宅すると、突然、目の下から津波のように暗闇がドワッと押し寄せ、「なんだ、これは?」と訳も分からず、不安のまま一晩過ごしました。

翌朝、病院へ行くと、目の中には出血が、「糖尿病性網膜症」の診断でした。それまで当たり前だった車の運転も仕事も、日常の生活全てが、私の元から離れていったのです。これからどうすればいいのだろうと途方に暮れていたある秋の日、知人から盛岡視覚支援学校を紹介されました。学校説明会では私よりも年配の方や全盲の方が一生懸命に理療師を目指して頑張っている姿に、「いつまでも下を向いている場合ではない」と一念発起し、お世話になろうと決意したのです。

私は岩手県は南部の大船渡から毎週、盛岡の学校へ通っています。約20年ぶりとなった学校生活では、クラブで琴を演奏したり、生徒会長を務めたりと積極的に学校生活を満喫しています。昔の自分だったら考えられなかったことです。人前に立つとあがってしまい、言いたいことの十分の一も言えない人見知りの小心者でした。

そんな私の「性格」を鍛え、人前で物怖じせずに話せるようになったのは、10年以上お世話になった消防団活動のおかげだと思います。入団した当初は気楽に構えていたのですが、10キロ以上もするホースを何本もつないだり、ポンプを操作するために何百㍍も走ったりと体力面の厳しさに加え、訓練や演習のたびに、大きな声で「気を付け」「頭、中」と号令をかけ、敬礼をする、あいさつに始まり、あいさつに終わる規律の厳しさにも戸惑い、「これはとんでもない所に入ってしまったもんだ」と後悔もしましたが、時すでに遅し。できないながらも必死に食らい付いて頑張りました。そして3年後には私を変えてくれたラッパ隊へ入隊することになります。

入隊した当初は人見知りも手伝い、自分から話しかけることもできませんでしたが、強烈なキャラクターやバラエティーに富んだいい人たちに囲まれて、少しずつ話をしていくうちに、だんだんと自分の気持ちや意見を出せるようになり、仲間として認められた私は、ラッパもすぐに上達をし、気がつけば9年もの間、隊員として活躍することになります。よりよい演奏のため、仲間と切磋琢磨をし、県の消防団主催の表彰式や演習大会など、貴重な経験にも恵まれました。

たくさんの人々と触れ合えたこの10年もの月日は、人見知りの自分でも心を開いて話をすれば相手も必ず心を開いて話してくれること、自分から飛び込んでやってみれば必ずいいことが返ってくること、最初は小さなことでも小さな「気付き」が大きな「変化」になり、自分達を変えてくれる「機会」に変わることを教えてくれたのです。

目の病気と学校へ行くために、消防団を辞めることになった私を待ち受けていたのが、あの東日本大震災でした。あの日がくしくも消防団活動最後の日となってしまったのです。もちろん自宅も被災をしましたが、長年培った消防団魂が私を突き動かし、暗く、つらく、寒い夜を地域の皆さんとともに過ごしました。あの日のことは今でも忘れられません。

現在、私は糖尿病網膜症に加え、腎臓病も患い、毎日の透析治療で大変な思いはこれからも続いていきますが、火事の現場、そしてあの震災のことを思い出すたびに、今、こうして生きていることの大切さを改めて痛感いたします。当たり前のように生きることが実は当たり前ではないことを皆さん、忘れてはならないのです。一度きりの人生をありがたく思い、先人たちの分まで精いっぱい、一生懸命生きなければなりません。私はこれからは理療師として、たくさんの人のためにお役に立ちたいとの一心でいばらの道を歩んでいこうと思います。

最後に今までお世話になりました親、兄姉(きょうだい)、大船渡市消防団、そして盛岡視覚支援学校のたくさんの皆さんへ感謝の気持ちをこめて、「頭、中!」。

<3位> 月曜おじさん

【東北地区代表】 宮城県立視覚支援学校 中学部3年 髙木 連さん(14歳)

「月曜おじさん」。僕がそう呼ぶこの方に、初めてお会いしたのは昨年の冬のことでした。僕はそのとき、常磐線逢隈(おおくま)駅のホームで仙台行きの電車を待っていました。

「おはよう」。そう声をかけて月曜おじさんは、電車が逢隈駅に到着すると僕の腕をやさしくつかみ、電車内へと誘導します。そして空いている席に僕を座らせます。仙台駅に到着するとそっと僕の腕を取って、電車を降り、階段を上り、改札口まで誘導します。「いってらっしゃい」。そう声をかけて彼は去っていきます。名前も知らないこの月曜おじさんの親切な誘導はこの日から毎週続き、もう半年がたちました。

ぼくは毎週月曜日、自宅から学校へ登校し、平日は寄宿舎で生活しています。金曜日に自宅へ帰省し、また月曜日、学校に向かう生活を続けています。友達や先輩方に会える楽しみがある半面で、また1週間自宅を離れなければならない寂しさが月曜の朝は、胸にこみ上げてきます。月曜おじさんの存在は、そんなぼくの心を少し慰めてくれるものになりました。

僕と月曜おじさんは、ほとんど話をしません。でも、月曜日になると当たり前のように彼は僕を誘導します。「大丈夫です」と断ろうとしたこともありました。実際に僕は改札口まで自分で行くことができます。ですが、「いいから一緒に行こう」というおじさんの温かい言葉についつい甘えてしまいます。僕を優しく導いてくれる大きな腕が、とても僕を安心させてくれます。僕はおじさんのことを何にも知らないのにおじさんのことを心から信頼しています。それはとても不思議な感じです。

「ホームはとても危険なところだ」。歩行訓練でよく言われます。最近、ホームでは携帯のながら歩きが問題になっているそうで、そんな人とぶつかったらと思うと足がすくみます。人が人を線路に突き落とすという残酷な事件を耳にしたこともあります。自分がどんなに慎重に歩いてもホームには、いえ、世の中には危険がいっぱいです。そんな世の中に僕はとても不安を感じます。それでも僕たちは時に人に助けを求めて、生きていかなければなりません。助けを求めたその人が、はたして信頼できる人なのかどうかを疑ってしまうのはとても寂しいことです。僕は月曜おじさんと出会ったことで、人の温かみや優しさを改めて実感し、世の中に希望を感じることができました。

世の中にはさまざまな人がいます。親切な人ばかりとは限らないでしょう。白杖(はくじょう)をぶつけて怒られたこともありましたから。本当に知らない人と接する時は怖いという気持ちが先に立ちます。ですが月曜おじさんの優しい手は僕に希望を与えます。「人は助け合って生きていくものだ。気兼ねなく、恐れずに前に進みなさい」。そう背中を押されているような気がします。人の優しさは世の中へと踏み出す勇気を与えてくれます。ぼくにとって歩く時は白杖が一番頼りだけれど、周囲の人々の温かい心が、更に僕を支えてくれる、そんな気がします。

僕はいつまでも、月曜おじさんに甘えていてはいけないと、思っています。いつか自力で歩くことを伝え、改めてお礼を言いたいと思っています。そして自分の夢をおじさんにこう伝えたいのです。日本中を、世界中を歩き回って、さまざまな人に出会いたい。おじさんと会ったことで感じた出会いの大切さ、人と人が支え合って生きていくこと、世の中への希望、おじさんにもらったたくさんのことを今度は自分が別の人へと伝えていきたい。そんな僕をこれからも見守って下さい。しっかりと地を踏みしめて、僕は前に向かって歩いていきます。希望に向かって前に進み、支え合う大切さを自分の行動をもって伝えていくこと。それが月曜おじさん、あなたへの一番の恩返しだと僕は思います。

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