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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち

広瀬宰平 その一 4

文・末岡照啓

逆命利君の人材登用

逆名利君謂之忠「命に逆らっても君を利す、之を忠と謂う」。
1913年、広瀬が亡くなる前年に揮毫した書。
写真提供
新居浜市広瀬歴史記念館

広瀬宰平は亡くなる前年の大正2(1913)年、「逆命利君、謂之忠(命に逆らっても君を利す、之を忠 と謂う)」と揮毫したが、これは終生の座右の銘であった。本当の忠義とは、上司や主君の命令、たとえ国家の命令であっても、それが主家のため国家のためにならなければ敢えて逆らうことあるべし、という強い意志が表れている。これは、中国の古典「説苑」に出てくる四つの言葉のひとつで、その対極にあるのが、「従命病君、為之諛(命に従いて君を病ましむる、之を諛と為す)」という言葉である。
「諛」とはへつらうこと。へつらって命令に従うのは、主君を病ましめ、国家を腐敗に導く。
広瀬はおべっか遣いのイエスマンを、最も嫌ったのである。
広瀬が、当主・友視や上司の今沢卯兵衛、清水惣右衛門によって抜擢されたように、明治の元勲たちも、彼らのよき理解者であった主君や上役に登用された。薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級武士であった西郷隆盛や大久保利通は藩主・島津斉彬に、長州藩(現在の山口県)の木戸孝允・大村益次郎は上役である周布政之助に、武蔵国(現在の埼玉県)の農民であった渋沢栄一は一橋家の平岡円四郎によって見出された。激動の明治維新は、「逆命利君」の人材でなされたと言っても過言ではない。

広瀬も自分と同じような、「逆命利君」の志士を広く登用した。伊庭貞剛(司法省)、田辺貞吉(文部省)、塩野門之助(外務省)、大島供清・広瀬坦(工部省)などは官界からスカウトし、長谷川健介・阿部貞松・小池鶴三などは子飼いから引き立てた。彼らは、意見の相違からときには広瀬と衝突しながらも、家法の制定、別子銅山の近代化などを達成した信念の人々である。衝突はしても、人を引きつけてやまない強烈な魅力が、広瀬にはあった。
「住友氏ハ四百年来鉱業ニ従事シ、家法ノ如キモ、自ラ慣習ニ出ルモノ少ナカラス、然レトモ、其営業ノ方針ハ、未タ曾テ一己ヲ利スルカ如キ傾キアルヲ見ス(中略)、故ニ余モ不肖ナリト雖トモ、居常ニ公利公益ヲ旨トシテ営業ノ針路ヲ取ル」
スカウトされた人々は、明治維新のとき川田が魅了されたように、広瀬の説く住友の事業精神に惚れ込んだ。生前の伊庭貞剛は、叔父の広瀬を「元亀・天正の英雄じゃ」と評していたが、広瀬はまさに織田信長のような乱世に強い指導者であった。

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