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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち

広瀬宰平 その二 3

文・末岡照啓

朝鮮貿易と商社へ

明治初期、わが国の商業・貿易は安政の不平等条約によって、欧米先進国に利益を壟断されていた。住友神戸支店での銅販売を通じて、居留地の外国商館に商権が牛耳られていることを痛感していた広瀬は、つねづね外国商館の高圧的な態度を腹立たしく感じていた。明治8(1875)年1月、彼は神戸支店を通じて外国商館に、銅代金の売り込み手数料を5パーセントから2パーセントに減額すると一方的に通告している。また、これに先立つ明治6(1873)年には、銅以外の貿易にも着手しようと、当時三井物産の前身である先収社が行っていた米輸出にならい、イギリス、オーストラリアへの米輸出をも試みている。
明治10(1877)年、広瀬は商権回復の一環として新たに朝鮮貿易に挑んだ。彼自身は欧米諸国に支店を開設したかったのだが、それだけの実力はまだなかったので、隣国の朝鮮から始めようと考えたのである。明治13(1880)年9月、朝鮮の釜山・元山両支店を視察した広瀬は、朝鮮におけるわが国の商権を高めるためには、過去の歴史にこだわって現地の人々を蔑視することをやめること、また欧米人への卑屈な態度を改めることが重要だと指摘している。だが、明治15(1882)年、朝鮮で内乱が勃発、商権が中国人の手中に帰したため、その翌年には朝鮮貿易から撤退している。

海運の近代化と大阪商船設立

惣開の洋式製錬所
白水丸写真上は1888年操業を開始した
惣開の洋式製錬所。
写真下は広瀬が最初に購入した
木造蒸気船「白水丸」。

明治五年(1872)11月、広瀬はイギリス人から中古の木造蒸気船神戸丸(54トン)を購入し、住友の屋号泉屋にちなんで「白水丸」と命名した。その後、明治7(1874)年から14年にかけて回天丸(76トン)、富丸(トン数不明)、安寧丸(340トン)、康安丸(125トン)、九十九丸(79トン)を購入もしくは新造して海運業に進出、四国・山陽・九州・朝鮮航路で活躍した。しかしまもなく、外国汽船や大手の三菱汽船、共同運輸会社(このふたつは合併して日本郵船となる)や、中小の汽船会社が入り乱れてのサービス競争が始まり、さらに明治13(1880)年、老朽化した船体にむち打って航海に出発した白水丸が小豆島沖で汽罐破裂により沈没するという不運に見舞われる
明治17(1884)年5月1日、外国汽船や三菱汽船と対抗するには、弱小船主の大団結が必要であると考えた広瀬は、西日本の弱小船主55名(現物出資船舶九三隻)を結集して大阪商船会社(現在の商船三井、資本金120万円)を設立する。このとき住友は安寧丸・康安丸を現物出資し、広瀬が初代頭取に就任した。彼は開業式の演説で「その目的たるや大いに運輸の便を開き、産出の昌隆を促し、交易をしていよいよ頻繁ならしめ、国家文明の万一を裨補せん」と述べ、海運業は殖産興業の要であると宣言している。

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