1. ホーム
  2. 住友の歴史と事業精神:住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち:広瀬宰平 その二 4

住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち

広瀬宰平 その二 4

文・末岡照啓

欧米巡遊と別子鉱山鉄道

別子の上部鉄道別子の上部鉄道。
日本初の山岳鉱山鉄道であり、
広瀬は北米の鉱山鉄道からヒントを得ている。

明治22(1889)年5月、広瀬宰平は還暦祝に欧米諸国を巡遊した。この年の6月、北米ロッキー山脈のコロラドセントラル鉱山で、断崖絶壁を縫うように走る山岳鉄道を見た彼は、別子における鉄道の実用化に自信をもった。その結果、明治26(1894)年には、新居浜の平野部を走る下部鉄道(惣開-端出場間の約10キロ)と、海抜1000メートルの山岳部を走る上部鉄道(石ヶ山丈-角石原間の約5.5キロ)が開通する。これはわが国最初の山岳鉱山鉄道であり、広瀬はその喜びを「与他産業不相同(他産業と相同じからず)、無尽蔵中採赤銅(無尽蔵中赤銅を採る)、欲問国家経済事(問はんと欲す国家経済の事)、半天鉄路一条通(半天鉄路一条通ず)」という漢詩に表した。産銅事業から国家経済を問いたいと意気込む姿は、実業家広瀬の面目躍如たるところであろう。

東の渋沢、西の広瀬

現在の別子山中現在の別子山中。明治以来の植林によって、
豊かな自然がよみがえっている。
撮影 普後 均。

広瀬は、未熟な民間資本を育成するため、財界でも活発に活動した。
明治14(1881)年4月9日、大阪財界の立役者であった五代友厚(旧薩摩藩士)は、政府の重鎮・大隈重信に宛てた書状のなかで「広瀬儀ハ住友の総理代人ニ候(中略)、同人儀は左右の腕と存居候もの」と紹介している。事実広瀬は、五代の女房役として多くの会社設立に関与し、明治11(1878)年大阪商法会議所の副会頭、同12年大阪株式取引所の副頭取、大阪硫酸製造会社の頭取、同一五年関西貿易社の副総監、大阪製銅会社の社長、17年大阪商船の頭取などを歴任している。

明治25(1892)年7月19日、広瀬宰平は、殖産興業につくした功績によって、渋沢栄一(第一銀行頭取)、古河市兵衛(足尾鉱山経営者)、伊達邦茂(北海道開拓者)とともに、民間人として初めて明治勲章(勲四等瑞宝章)を受章した。それまで、勲章は国家のためにつくした者、つまり官吏にしか授けられなかった。ところが、同年賞勲条例が改正され、民間人でも国家のためにつくした者には授与されることとなり、先の四人が第一号となったのである。同年10月19日、関西でただひとりこれを受章した広瀬は、その祝賀会で200名に及ぶ紳士、豪商に対し「今や実業に頼りて勲位に叙せらるゝ途洞開せり、諸君は是より愈よ実業に力を尽くし、以て国家の公益を図り、二等三等は勿論、一等の勲章拝受するの光栄を荷はれんことを」と謝辞を述べ、実業界で働く人人に夢と希望を与えたのであった。

BACKTOPNEXT

ページの先頭へ戻る

住友グループ広報委員会 Copyright © 2016 Sumitomo Group Public Affairs Committee All Rights Reserved.