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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち

伊庭貞剛 その二 1

文・末岡照啓

伊庭貞剛の人柄

伊庭貞剛の思想や人柄をあまねく記したものに、伝記『幽翁』(1933年刊)がある。そのなかで、伊庭の心友河上謹一※1は明治40(1907)年頃、外務省の後輩で奉天総領事だった吉田茂に「予が伊庭翁に会わんことを勧めるのは・・・・・」と語りかけ、時局談や中国問題を聞くためではなく、次のような理由で面会してほしいと述べた。 「君が翁に会って必ず得るに違いないと思うのは、さながら春風のごとき感じである。この温かな感じこそは、君が将来世に処し人に対する上において、いかばかりか資すること多きや、はかり知れないものがあろうと」  戦後日本の進むべき指針を定めた総理大臣吉田茂は、若いころに伊庭貞剛を訪ね、その謦咳に接していたのである。かくいう河上も、伊庭の春風がごとき好印象に引き寄せられて住友入りしたのであったが、それほど彼には人望があった。

最晩年の伊庭貞剛(右)と河上謹一(左)最晩年の伊庭貞剛(右)と河上謹一(左)。
石山の料亭柳屋で、大正末に撮影。
写真提供 住友史料館

年表
  • ※1 河上謹一 かわかみ・きんいち
    1856年から1945年。岩国藩(現在の山口県)に生まれ、70年貢進生として大学南校(後の東京大学)入学。
    78年東京大学法学部卒業後、ロンドン大学に留学。帰国後、農商務省、外務省を経て91年日本銀行に入る。99年に銀行を離れ、伊庭貞剛の依頼を受けて理事として住友に入る。1904年、伊庭の総理事退職とともに理事を辞す。その後も南満洲鉄道の設立委員、山陽鉄道取締役、九州製鋼監査役などを歴任した。

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