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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち

鈴木馬左也 その一 3

文・末岡照啓

国家百年の事業

住友肥料製造所 新居浜住友肥料製造所 新居浜(昭和初期)
写真提供 住友史料館

住友伸銅場ケーブル工場(電線製造所の前身)住友伸銅場ケーブル工場(電線製造所の前身)
(明治後期)
写真提供 住友史料館

明治37年(1904)7月、鈴木は四四歳の若さで住友総理事に就任した。就任に当たり、「自分は正義公道を踏んで、皆と国家百年の仕事をなす考えである」と決意表明した。彼にとって住友は単なる営利会社ではなく、実に国家の尊い一機関であり、一要素であった。
そのため明治44年8月、住友電線製造所(現、住友電工)を設立し、わが国最初の電話・電力用高圧ケーブルを製造した。明治45年5月には伸銅場(現、住友金属・軽金属)で継ぎ目なし鋼管の製造に着手、海軍の復水管需要に応えた。大正2年(1913)肥料製造所を設立し、化学工業の先鞭をつけ、同8年には大阪の臨海工業地帯建設のために大阪北港(現、住友商事)を設立した。さらに同年、別子鉱山の電源開発を目的に土佐吉野川水力電気(現、住友共同電力)、および宮崎県の椎葉植林に関係して耳川の水利権を確保した。これらが現在の四国・九州電力発足の遠因となっている。
また、わが国の技術発展のため外資とも積極的に合弁し、大正7年日米板硝子(現、日本板硝子)を設立、同九年日本電気へ資本参加した(昭和7年住友の経営)。20世紀の電気エネルギー時代を見据え、わが国を産業貿易立国にしたいという念願からであった。  国家百年の事業、鈴木が起こした事業は現在もなお生き続けている。

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