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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友人物列伝:総理事と呼ばれた人たち

鈴木馬左也 その二 3

文・末岡照啓

北辰衆星の人材

四阪島製錬所四阪島製錬所(昭和初期)
大煙突・電信柱など大改造後の様子が写されている。
写真提供 住友史料館

そんな鈴木に惹かれ、明治末から大正期にかけて入社した人材は、実に多士済々であった。東京控訴院(現在の高等裁判所)から中田錦吉、逓信省から湯川寛吉(5代総理事)、内務省から小倉正恆(6代総理事、のち大蔵大臣)、農商務省から大平駒槌(別子鉱業所支配人、のち満鉄副総裁)などを迎えた。生え抜きの社員養成にも怠りなく、川田順(本社常務理事、のち歌人)・鷲尾勘解治(別子鉱山専務)・古田俊之助(7代総理事)、北沢敬二郎(本社理事、のち大丸社長)・田中良雄(同理事、のち大阪市教育長)・河井昇三郎(同理事、大阪建物社長)、小畑忠良などは、その後の住友発展の原動力となった。そのほか、建築関係では、長谷部鋭吉・竹越建造(現、日建設計の設立者)がおり、内村鑑三門下のキリスト者である江原万里(東京帝大教授)・黒崎幸吉・矢内原忠雄(東大総長)や、日本共産党の細川嘉六も一時住友に籍を置いた。
論語に「政(まつりごと)を為すに徳を以てす、譬(たと)えば北辰その所に居て、而(しか)して衆星之(これ)と共にするが如し」にあるが、まさに北辰(北極星)たる鈴木の理念のもとに、きら星のごとく輝いた人材が集まったのである。

人材の活用

6代目総理事となる小倉正恆は、鈴木馬左也に仕えた思い出を次のように語っている。「鈴木さんは、人を信頼する迄は種々細かいことを云われるが、一旦信頼されたら徹底的に信頼され、絶対任せっきりで何も云われなかった」。
大正7年(1918)5月、別子鉱業所支配人に就任した大平駒槌(おおだいら こまつち)は、別子鉱山・四阪島製錬所の大改造計画をまとめた。採鉱・選鉱・製錬・運搬・鉱石の売買・送電等15にのぼる大起業であったが、なかでも総額800万円という投資と、新居浜から四阪島まで当時世界最長20キロの海底ケーブルの敷設については、異論が続出した。しかし、鈴木はあくまで大平を信頼して事業を貫徹させ、別子鉱山を蘇えらせた。
また、鷲尾勘解治が別子鉱業所のヒラ社員だったとき、別子の労使関係の改善を上申したが、直属の上司に反対されて腐っていたところ、鈴木はこれを採用して断行させてくれた。鉱夫たちの私塾開設にも賛同し、「自彊舎(じきょうしゃ)」と命名してくれた。のちに鷲尾は、「士は己を信ずるものの為には命をも致す」と述懐している。
いっぽう、第一次世界大戦の好景気を背景として、大正3年以降わが国では商事会社の設立が相次いだが、鈴木は社内の設立論者に対して、「住友では商売をする人材を養成していないので、時期尚早である」と反論した。鈴木の言うとおり、大戦後の反動から商社が倒産し、本業に打撃を受けた会社が続出したが、住友は無傷であった。

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