大阪市立美術館 前編

浪速の「市民美術館」

大阪市立美術館

大阪市立美術館

所在地
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-82
(天王寺公園内)
開館時間
9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日
月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館)、年末年始、展示替え期間
URL
http://www.osaka-art-museum.jp/

市民のための美術館を

大阪市立美術館
シャンデリアが彩る荘厳なエントランスホール。
コンサートが催されることも。

大阪・天王寺公園の一画に建つ大阪市立美術館は、昭和11(1936)年に開館された日本有数の歴史をもつ美術館である。美術館という言葉自体珍しかった当時にあって、市民が優れた美術文化に接する機会を提供し、美術家の活動を助成し、大阪の文化振興を促すことを目的に、本格的な美術館を建設しようと大正9(1920)年に計画されたものだ。
端整なシンメトリーをなすギリシャ風建築の地上2階建て、地下2階の本館には、日本、中国の絵画、彫刻、工芸など約8,000件を超える収蔵品と、社寺などから寄託された作品を随時展示。また地下展覧会室では、常時さまざまな美術団体が主催する展覧会が開催されており、文字通り、市民の美術館として親しまれている。

住友本邸の土地を提供

大阪市立美術館
慶沢園から美術館を望む。四季折々の風情が建物に豊かな表情を与える。

大阪市立美術館の位置する茶臼山一帯は、もとは住友家の本邸のあった場所である。古くは大坂冬の陣で徳川家康が、夏の陣では真田幸村が陣を構えた場所としても知られるが、明治以降、住友15代家長の友純(春翠)が用地の買収を進め、大正4(1915)年に本邸を移転、続いて大正7年には、近代庭園の第一人者、七代目小川治兵衛(植治)の手になる「慶沢園」も完成した。
ところが、大正10年、大阪市が美術館の計画を進めながら、用地の確保に難航しているとの話を耳にした春翠は、美術館を建設するのであればと、慶沢園を含む茶臼山一帯の土地1万坪あまりを大阪市に寄贈することを申し出る。これにより、大阪市立美術館は建設着工に向けて動き出したのである。
折からの関東大震災や世界金融恐慌を受け、工事はたびたび中断されたが、計画から17年をかけて、ようやく開館にこぎつけた。

寄贈に恵まれる

大阪市立美術館
広々とした陳列室。住友家が寄贈した作品も展示されている。

同館の特徴として、市民からの寄贈された美術品が多いことが挙げられる。多くの美術館、わけても国公立の美術館は、一定のコンセプトのもとに作品を購入・蒐集することが多いが、開館当初から市民に優れた美術と接する機会をとのコンセプトに賛同する個人からの寄贈や出陳寄託が相次ぎ、充実した展示が実現している。国宝や重要文化財に指定された作品も多く含まれ、とくに中国絵画、石仏では世界でも屈指のコレクションを形成している。

明妃出塞図 (めいひしゅっさいず)
明妃出塞図 (めいひしゅっさいず)
宮素然(きゅうそねん)/金12-13世紀
紙本墨画/縦30.2cm×長さ160.2cm
明妃とは、漢の元帝の妃である王昭君のこと。異民族の匈奴の王に嫁がされることになり、北方の厳しい環境のなかに出境する場面が、細緻な筆致で描かれている。重要文化財。阿部孝次郎氏寄贈。
蘭図(らんず)
蘭図(らんず)
鄭思肖(ていししょう)/元(1306)
紙本墨画/縦25.7cm×長さ42.4cm
もともと宋に仕えていた鄭思肖は宋が元に滅ぼされた後も宋への忠節を誓い、隠栖。君子を象徴する蘭の絵を得意としたが、土地が元に奪われたとして根を描かなかったという。阿部孝次郎氏寄贈。
潮干狩図(しおひがりず)
潮干狩図(しおひがりず)
葛飾北斎(かつしかほくさい)/江戸 19世紀初期
絹本着色/縦54.3cm×横86.3cm
北斎50歳頃の作品で、代表作のひとつに数えられる。江戸の春の風物詩であった潮干狩りを、遠近を強調した広大な空間に、生彩ある筆致で捉えている。重要文化財。中島小一郎氏寄贈。
故事人物蒔絵行厨 (こじじんぶつまきえこうちゅう)
故事人物蒔絵行厨 (こじじんぶつまきえこうちゅう)
江戸 18世紀後半/幅33.0cm
鼓をかたどった枠のなかに八角形の重箱、徳利などが納められた行厨。中国の故事にちなむ二十四孝と菊慈童などの文様が、薄肉の金銀高蒔絵で表されている。U.A.カザール氏寄贈。
大阪市立美術館 土井久美子
監修者
大阪市立美術館 土井久美子
大阪市立美術館の学芸員として、同館の歴史、収蔵品の調査に尽力。戦中・戦後の混乱で幻となっていた名品を多数発掘・紹介している。

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