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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友「歴史探訪」

第2回 京都編 その2  住友政友の宗教哲学と「富士屋」開業第2回 京都編 その2 住友政友の宗教哲学と「富士屋」開業

住友政友の木像

商人の心得を説いた「文殊院旨意書」を残し、現在もその精神が受け継がれている住友初代・政友についての資料、史話は少ない。
ただ、京都東山の麓(左京区鹿ヶ谷)の住友有芳園の中にある歴史展示館には、住友四百年にわたる貴重な歴史や事業精神を示す資料の多くが展示されている。
その一隅に政友を偲ぶことのできる小さな木像がある。数珠を手に、悟りを開いた宗教哲学者の穏やかな表情があった。非公開のため、一般の見学者の目に触れることはないが、住友家・初代の印象を伝える唯一の史といえる。
政友は天正十三年(一五八五年)、越前の国・丸岡(現在の福井県坂井郡丸岡町)で生まれた。くしくも豊臣秀吉が関白になった年でもあり、世はまだ戦乱の匂いが漂っていた。丸岡には戦国時代、柴田勝家が建てた丸岡城があり、住友家の家系譜をさかのぼれば武士の家柄であった、と末岡照啓史料館副館長。説明はさらに続く。

政友は十二歳の時、弟とともに母親に連れられ京都に出た。戦乱の世はこりごりだったのかもしれない。住友家はここで武家を捨て、政友を僧侶にさせようと両親は決意、父親を残して丸岡を後にした。
京都に入った政友は、新興の「涅槃宗」(ねはんしゅう)の門を叩き、開祖・及意上人空源(ぎゅういしょうにんくうげん)に弟子入り、空禅を名乗りながら熱心に修行。文殊院の称号を授かる。

政友が開業した「富士屋」周辺の現在の街並み

しかし「涅槃宗」は他宗派の攻撃と幕府の宗教政策によって天台宗に併合させられたが、政友の哲学は他を誹ることを許さなかった。「政友の素晴らしいところは、その後は文殊院員外沙門(いずれの宗派に属さない僧侶)と称して、求道の仏教徒としての姿勢を最後まで貫いた宗教哲学者です。頑固ものなんですね」(末岡氏)
そして僧籍を離れた政友は、十七世紀の寛永年間、京都の仏光寺烏丸に「富士屋」の屋号で書籍と医薬を営む店を開業した。当時の仏教寺院の多くは、これらを営業種目にしていたが、政友も「富士屋嘉休」を名乗り、法典とともに医薬を伝えながら、旧門徒の心の支柱となり、生涯信仰の生活から外れることはなかった。そんな政友を敬愛し、富士屋を陰で支えたのが門弟の一人、蘇我理右衛門という銅職人。この二人の出会いが、後の住友家繁栄の礎、銅との結びつきを生む…。 次回は政友と理右衛門の、その後を追ってみる。(了)

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