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住友「歴史探訪」

第7回 新居浜編 その1 別子銅山のある町「新居浜市」を訪れる第7回 新居浜編 その1 別子銅山のある町「新居浜市」を訪れる

別子銅山記念館

伊予(松山)の赤石山系の中で発見された大鉱脈が眠る山。別子銅山の採掘を幕府に出願した住友家は、許可が下りた元禄四年(一六九一)八月、開坑にこぎつけた。

住友四百年の歴史の中で、大飛躍に向けた記念すべき年といえる。そして、この開坑から三百年あまりの昭和四十八年に閉山するまで、幾多に及ぶ苦難を乗り越えながら日本屈指の銅山として君臨してきた“宝の山”だ。 そんな変遷を記し、一大産業遺跡として今に伝えているのが新居浜市内にある「別子銅山歴史記念館」。そして幕末から明治にかけて、住友家で采配を振った別子銅山の支配人(後、総理事)広瀬宰平(ひろせさいへい)を顕彰する「広瀬歴史記念館」の二つがある。

記念館はいずれも、新居浜市の高台にあり、「別子銅山歴史記念館」は銅山に向かう山麓、銅山開坑以来の守護神が祀られた大山積神社の境内に昭和五十年に住友グループが造った施設だ。建物は山肌に埋もれるように、半地下形式で造られていて、屋根の上にもサツキが植えられ、いかにも銅山の記念館らしい、しっとりした雰囲気がある。
銅山関係の展示品の中で、「螺灯(らとう)」と呼ばれる小さな小道具。これはサザエの殻に鯨油を入れて、開口部を灯心のついた蓋で閉じたものだが、暗闇の坑内の照明具だ。明治二十八年くらいまで別子銅山で使われていたという品で、海に近い銅山ならではの小さな照明具で、坑内で働く人たちの手垢が染み込んで黒ずんでいた。

一方の広瀬歴史記念館も程近いところにある。ここからの眺めは、臨海部に広がる工業地帯、背後の山をふり返ると悠然とそびえる赤石山系が望める絶景の地だ。同記念館の関係者は「ここから眺める風景全体が、近代日本の産業勃興期のメモリアルパークと言えるのではないでしょうか」と説明し、また「新居浜市を日本の近代資本主義の縮図と表現できると思います」ともいう。
記念館の最初のホールには、険しく切り立った別子の山中を、黒煙とともに走る上部鉄道(明治二〇六年)の大きな写真が目に飛び込んでくる。実に迫力がある。そしてホール左右の壁面に、それぞれ窓がある。そこを覗くと巨大な筒のような先が額縁のようになっていて、新居浜市の遠景。反対側の窓を覗くと赤石山系の山並みが見える。
屋上に突き出た塔が、巨大な潜望鏡の役割を果たし、塔の上では海側と山側に鏡が向けられ、それがホールの二つの窓に映像を落としているのだ。正にマジックミラー。

広瀬歴史記念館

それにしても三百年余の長い歴史を秘めた一大産業の遺跡が眠る別子銅山。公害や環境対策も日本の先端を走り続けた住友の歴史。鉱業、建設、機械、金属、化学、石油コンビナート…が点在している現在の新居浜市。これら日本の近代産業が、ここを起点に系統樹のように派生して行ったのも、別子銅山が生み出した力である。

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