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住友「歴史探訪」

第12回 新居浜編 その6 二代総理事 伊庭貞剛の人格と思想第12回 新居浜編 その6 二代総理事 伊庭貞剛の人格と思想

伊庭貞剛

「住友の財産といった所で何程のものでもなく、たかが銅を吹いて儲けた位のもの故、潰してもらつても結構です」(『住友春翠』芳泉会編刊より)

これは、当時住友家本店の支配人をしていた伊庭貞剛(後の二代総理事)が、公家の徳大寺家六男・隆麿(後、住友家十五代友純)を説得した言葉だが、住友家へ婿養子に入る際、多少の躊躇があったのだろう。しかし、この貞剛の余裕のある自信に満ちた言葉に動かされ、住友家の家長を決断したとされる。

広瀬宰平が激動期に必要だった武断専制型の経営方針を貫いたとすれば、次代の伊庭貞剛はその人格と思想で、社員たちの多くをひき付ける器量があったと思われる。

かつて住友合資会社の専務理事で歌人でもあった川田順は、伊庭貞剛について、自著「住友回想記」の中でこう記している。「・・・東海道列車が瀬田の鉄橋を通過する際、車中の住友人は大抵の場合、顔を窓ガラスに押し付けて唐橋の下流を眺め、右岸の、小高い山のみどりに眼を凝らして、“あすこが伊庭さんの亡くなられた別荘だ”となつかしく思い出すものらしい。それ程に伊庭貞剛は人望があった・・・」

貞剛の隠棲した石山の別邸「住友活機園(かっきえん)は、琵琶湖の南、瀬田の唐橋に程近い小高い丘に現存し、邸内には無造作に植え込まれた松や楓が陰影を作る美しいところで、二〇〇二年には文科大臣から重要文化財に指定された(期間限定だが一般公開もされている)。
また川田順は、初代総理事の広瀬宰平を「力の人、策の人」と評する一方で、貞剛を「心の人、徳の人」と評している。確かに伊庭貞剛は、住友の歴史書などを見ても極端な精神主義を避け、常に物心両面の調和を重要視してきた人物という事がわかる。彼の座右の銘は「君子財を愛す。之を取るに道あり」(禅書「宗門無尽燈論」の一文)。

つまり、総理事として貞剛が志向した住友の経営理念は「住友の事業は営利事業だから、営利を図ることに極力務めなければならない。しかし、それは国家公益にもとらぬよう、省みて恥ずかしくないようにしたい」ということである。それが、住友に伝統的に生き続ける「自利利他公私一如」の事業精神で、貞剛もそうした信条を貫き通し、打つべき手を打っていった。



住友のいち早い植林事業もその一端だ。鉱山経営から発生した煙害による山林の荒廃を少しでも救おうとし、天地自然の恵みに対する感恩の情が、その土台にあったことは言うまでもない。また別子開抗二〇〇年を記念して献納された皇居前の楠公の銅像もそうである。

しかし、貞剛は住友精神のもう一つの営利事業の指針、「企画の遠大性」への探求も緩めなかった。

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