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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友「歴史探訪」

第13回 新居浜編 その7 住友の近代化を実現した伊庭貞剛第13回 新居浜編 その7 住友の近代化を実現した伊庭貞剛

三代総理事 鈴木馬左也

四代総理事 中田錦吉

六代総理事 小倉正恆

七代総理事 古田俊之助

“石山の高士”と呼ばれ、歌人・川田順に「心の人、徳の人」といって人望の厚き人物として称賛された二代総理事の伊庭貞剛。前号でその辺りの事に触れたが、総理事に就任してからの伊庭は、在任四年という歳月の中で、住友の経営基盤強化のために尽力した。そして「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である」と五十八歳で勇退。後進に道を譲ったが、引き際の見事さに、周囲から惜しむ声が上がったという。

初代総理事・広瀬宰平の甥にあたる貞剛は、現在の滋賀県近江八幡市に生まれた。司法官を志して、大阪上等裁判所判事にまで累進した。「住友の歴史」刊などによると、当時の官界の無力さに嫌気がさした伊庭は、明治十二年(1876年)に官を辞し、叔父宰平の勧めもあって住友入り。三十三歳で本店支配人に就任し、住友人としての第一歩を踏み出した。

その後、同二十七年には宰平に代って住友家の諸事業を主宰するまでになり、三年後には総理心得、さらに三年後の五十四歳で第二代総理事に着任したのである。多少は叔父の影響もあったかも知れぬが、伊庭の人格と才能がいかに優れていたかを窺い知ることができるほどのスピード出世だ。

総理事となって真っ先に取り組んだのは、住友の経営の近代化を図ることであった。経営組織の改善や事務処理の合理化に着手した他、私立学校や私立病院の設立。また画期的ともいえる別子銅山の諸施設の拡充と整備に力を注ぐなど文化、教育面にも重点を置いた。それは住友の未来像を考えての施策と言えるもので、最も注目されるのは人材の外部招へいを含め、若い人材の育成と登用にあった。

住友史料館副館長・末岡照啓氏は、こう解説する。「初代総理の広瀬宰平は、変革期に相応しい人材として、即戦力を採用しています。しかし、伊庭は安定期だったこともありますが、五十年、百年先を見据えた若い人材の確保に力を入れました。同じ中途採用でも、伊庭は官吏に飽き足らない志を持った若い人材を多く採用しています。」

確かに、伊庭が採用した内務官僚出身の鈴木馬左也は三十五歳、中田錦吉(三十六歳)、小倉正恆(二十四歳)などはいずれも若く、後の歴代総理事を務めるほどの才望溢れる人物だ。初めて住友生抜きの総理事・古田俊之助が誕生したのも、その延長線上にある。
その結果、住友家事業の組織や制度は、これら有力な人材を核として一段と進展したことは言うまでも無い。今に通じる「事業は人なり」を伊庭は実践したのである。

伊庭貞剛は国家に恥じない「国家百年の事業を計らねばならぬ」と言う住友精神を忠実に守り「企画の遠大性」にこだわり続けた。それは二十一世紀の環境問題を予見したような取り組みであった。

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