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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友「歴史探訪」

第14回 新居浜編 その8 CSRを先取りした伊庭貞剛の情熱第14回 新居浜編 その8 CSRを先取りした伊庭貞剛の情熱

別子銅山 植林前

別子銅山 現在

住友の事業精神について、これまでさまざまな視点から取り上げてきたが、その根底にあるのは「自利利他公私一如」という精神を貫いていることである。明治以降、この精神は一層強調されることになり、初代総理事・広瀬宰平はもとより二代総理事・伊庭貞剛、そして歴代の総理事に継承された。

伊庭によれば、「住友の事業は、住友自身を利するとともに、国家を利し、且社会を利する底の事業でなければならぬ」ということ。そして「それが将来有望であり、世に貢献し得べき事業ならば、住友は社会に代わつてこれが経営に任ずるといふ、稟乎たる大市民的精神を逸してはならない」という趣旨だと述べている。

伊庭は在任中に、公害を断つべき製錬所の四阪島移転、植林計画など注目すべき事業に取り組んでいるが、晩年、住友時代を振り返りながら「別子の山が、緑になったことが一番嬉しい」と孫娘にしみじみと語ったという話が、「住友風土記」(佐々木幹郎著)に記されている。伊庭が、心魂を打ち込み情熱を注ぎ込んだのが「植林」であったことが偲ばれる。事業というより、伊庭のロマンだったような気がする。

伊庭は「別子の山を荒蕪するにまかしておくことは、天地の大道にそむくのである」と明治二十七年、別子銅山に登ったとき、荒れ果てた姿を見た伊庭が「旧(もと)のあをあを(青々)とした姿にして、之(これ)を大自然にかへさねばならない」と語っている。

別子銅山は急激な近代化によって山林の乱伐が行われ、製錬所から排出される亜硫酸ガスが煙害となって森林の木々は枯れ、農作物に被害を与えた。その難題に真正面から取り組み解決へ向けて努力したのが伊庭だった。

「東洋的な考えでは、人間は自然の一部である、だから(人間の手で)自然を損なうと必ずしっぺ返しが来るということになります。それで山に木を植えたわけです。多い時で年間200万本以上の木を植えており、それによって山に豊かな緑がもどっています。」(末岡照啓住友史料館副館長の「広瀬宰平と伊庭貞剛の軌跡」記念講演より)

末岡氏が言う通り、現在の別子銅山は訪れる登山者が感銘するように、青々した自然の山に戻っている。四阪島にしても同様だ。公害で赤茶けた岩肌が剥き出た島に植林を敢行したが緑はなかなか戻らない。それを伊庭は、本州から土まで島に運び込ませ植林事業を断行したといわれる。被害を受けた農民たちとは賠償金の契約を結び、自らに生産制限も課す一方で、莫大な研究費をつぎ込み、亜硫酸ガスの脱硫と中和技術の開発に取り組み、二十世紀半ばに完成した。だが残念ながら、それは伊庭が亡くなった後であった。

今日のCSR(企業の社会的責任)の観点でいうと当然な事といえるが、それを百年前に広瀬や伊庭をはじめ、後に続いた歴代総理事が当たり前のように行なってきた。二十一世紀の今、環境問題は人類共通の課題となっているが、住友の先人達の取り組みは、その精神において時代を先取りしたものと言えるのではないだろうか。

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