1. ホーム
  2. 住友の歴史と事業精神:住友「歴史探訪」
  3. 第15回 新居浜編 その9

住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友「歴史探訪」

第15回 新居浜編 その9 別子銅山が残した産業遺産を訪れる第15回 新居浜編 その9 別子銅山が残した産業遺産を訪れる

旧住友銀行新居浜支店

武徳殿

愛媛県新居浜市には、別子銅山関連の産業遺産が多く残されている。『新居浜の登録有形文化財』(広瀬歴史記念館発行)によるとイギリスなど欧米先進諸国では、自国の成り立ちや発展をモニュメントとして大切に保存、活用されているが、日本でもようやく二十年近く前から産業遺産の調査や研究が始まった。わが国の産業遺産といっても、その大半がわずか百年余りの間に近代化が進められ、達成されたものが多く、世界史的にみても貴重な存在として注目を集めている。

その中で平成十三年、新居浜市に残されている「旧住友銀行新居浜支店」(現在、住友化学愛媛工場歴史資料館)が同市最初の登録有形文化財として登録された。また同十六年に「武徳殿」、翌十七年に「遠登志橋」。さらに二十一年には「旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋」「旧別子鉱山鉄道端出場隧道」「旧山根製錬所煙突」「山根競技場観覧席」「旧泉寿亭特別室棟」の五件が一括登録され、計八件の登録有形文化財が誕生した。いずれも新居浜の将来を見据えた都市計画と関連して出来た貴重な構築物として認定されたものだ。

「旧山根製錬所煙突」は明治二十一年十月、欧米の巡遊先で製鉄・化学工業時代の到来を実感した住友家総理人・広瀬宰平が帰国後、東大で教鞭を執る岩佐巌を「工師」として雇い入れ、山根製錬所を拡張。製鉄・化学事業を目指した。だが、当時の技術水準では海外に太刀打ちできずに結局、製錬所は閉鎖に追い込まれた。しかし、わが国の近代化を、鉱山業から重化学工業へと発展させる最先端技術を応用した工場の遺構として認められたもので、いわばその“記念碑”ともいえる。

山根競技場観覧席

「旧住友銀行新居浜支店」は新居浜市の臨海工業地帯のさきがけとも言える惣開地区に建てられた。明治二十一年十一月、同地区で惣開製錬所が操業を開始し、二年後、新居浜分店が江戸時代以来の新居浜口屋から惣開に移転し、接待館とともに新築された。同三十二年、別子山中の別子鉱業所が大水害に遭い壊滅したので、惣開の新居浜分店に移転し、これを別子鉱業所とした。旧住友銀行新居浜支店(当時は出張店)は同鉱業所東隣に新設されたもの。施工は別子鉱業所土木課で、小規模ながら本格的な洋風建築で、当時の惣開地区を偲ぶ象徴的な建造物として認定された。平成二年、住友化学愛媛工場歴史資料館として一般公開されるようになり、敷地内には広瀬が由来を記した「惣開の石碑」が建つ。

「旧泉寿亭特別室棟」は、別子銅山開坑二百五十年記念事業の一環として造られ、別子銅山を訪れる関係者の宿泊施設として賑わった。現在、特別室の一部がマイントピア別子に移築、公開されている。「山根競技場観覧席」は、収容人数は6万人というから、東京ドームより大きい。現在も新居浜市の太鼓祭りの時には観覧者で埋め尽くされる。「武徳殿」は青少年の武道教育に貢献した建築物で、今はこれらを含め町と企業の共存共栄のシンボルとして存在している。

BACK住友「歴史探訪」トップに戻るNEXT

ページの先頭へ戻る

住友グループ広報委員会 Copyright © 2016 Sumitomo Group Public Affairs Committee All Rights Reserved.