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住友「歴史探訪」

第16回 大阪・新居浜編 その1 第三代総理事 鈴木馬左也の想い第16回 大阪・新居浜編 その1 第三代総理事 鈴木馬左也の想い

鈴木馬左也

前回までは“石山の高士”、あるいは“心の人、徳の人”などと評され、住友の近代化に大きく貢献した第二代総理事 伊庭貞剛をレポートした。ここからは伊庭の跡を受け、住友の近代化路線をより堅固に推し進め、発展させていった第三代総理事 鈴木馬左也の人となり、事業手腕などについて伝えていく。

鈴木馬左也が総理事の座に就いたのは、まだ四十四歳。先代・伊庭が五十四歳のときだったのに比べ、若く働き盛りだったことがわかる。その上、大正十一年に病没するまでの十九年間、住友のトップの座にありながら、住友の近代組織構築に務める一方、「条理を正し、徳義を重んじ、世の信頼を受ける」「国益を先にし、私利を後にする」など、忠孝の精神を基にした経営方針で事業の拡大を押し進めた傑物といえる。

過去に初代総理事の広瀬宰平、伊庭など偉大なる総理事がいるが、七人の歴代総理事の中で、在任期間が一番長かったのが、鈴木馬左也だった。

住友家が明治維新前後に最大のピンチに陥った困難期に、経営の根幹をなす別子銅山の売却案を阻止、経営を立て直し、今日の礎を築いたのが広瀬なら、公害問題に真正面から立ち向かい、被害住民への対応や植林事業で克服した伊庭というように、激動期には激動期に相応しい人物が登場。山積する難問や課題に取り組み、事業を発展させていったのも歴代のリーダーたちの英知と手腕だった。

鈴木馬左也も総理事在職十九年という歳月なかで、広瀬、伊庭が描いた近代化路線を継承し、住友の発展に大きく貢献したのも、その時の時代に相応しい強いリーダーを呼び出したとも言えるのではないだろうか。
末岡照啓 住友史料館副館長はこう説明する「鈴木という人物は、内務省の役人でしたが、国家と国民の発展を希求する住友の信条に共鳴して入社しました。それゆえ鈴木は、住友の鈴木ではなく、日本の鈴木と自任して国家国民に役立つ事業を興し、それを運用する優秀な大学卒を多く採用しました。今日の住友の基盤は彼の時代に磐石なものになったと言えると思います。」

鈴木が住友大阪本店副支配人として入社したのが、明治二十九年(一八九六)。当時、住友家の十五代家長に就任したばかりの友純(ともいと)と、総理事・伊庭の二人がまだ官界に身を置く鈴木を「住友の将来を託するに足りる人物」として注目し、今流に言えばヘッドハンティングで住友に迎え入れた。

その際に、鈴木は「自分は役人で商売のことは何一つ知らない。徳を先にし利を後にする。徳によって利を得る、それでよろしければお受けする。」と自説を説いたが、これは、まさに住友の事業精神と一致するものであった。

家長・友純も三十歳代。鈴木もほぼ同世代。のちに近代住友へのデザインが、この二人を軸に描かれていくのだが、副支配人としてスタートを切った鈴木には、就任時の決意を実践する大仕事があった。とくに総理事に就任してから「自分は正義公道を踏んで、皆と国家百年の仕事をなさねばならない」という思いを、一層強くもった。

住友は、単なる営利会社ではなく、国家にとっても尊い一機関であり、一要素であると考え、わが国最初の電話・電力用高圧ケーブルの製造、継ぎ目のない鋼管の製造などを実現した。国家百年の事業として、鈴木が興した事業は、現在も住友の事業として生き続けている。

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