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住友の歴史と事業精神住友の歴史と事業精神

住友「歴史探訪」

第19回 大阪・新居浜編 その4 鈴木馬左也の人材育成と情熱第19回 大阪・新居浜編 その4 鈴木馬左也の人材育成と情熱

「事業は人なり」という言葉は昔も今も、会社組織が追い求める金言の一つと言える。住友グループ各社も、今日までの発展と繁栄の歴史を築き上げてきたのは、時のリーダーの才覚であり、そこに働く人たちの結束と努力の結晶である。

第三代総理事・鈴木馬左也は、住友のトップとして、近代社会をリードするさまざまな起業に関わり、大きく発展させてきた。その手腕はこれまでに紹介してきたが、もう一つ馬左也について忘れてならないのは、優秀な社員の発掘と育成に、並々ならぬ情熱を傾けたことだ。未来の住友の礎とならん人物を採用して育て上げたわけだが、一方で馬左也に惹かれ、後の総理事を継ぐべき優秀な人材も次々に集った。まさに多士済済の人物が登場してきた。

住友史料館・末岡照啓副館長の記述を引くと、明治末から大正期にかけて入社した人材の顔触れを見ると、東京控訴院(現在の高等裁判所)から中田錦吉=後の第四代総理事、逓信省から湯川寛吉=第五代総理事、内務省から小倉正恆=第六代総理事、後の大蔵大臣、農商務省から大平駒槌=別子鉱業所支配人、後の満鉄副総裁など。また生抜きの社員養成にも怠り無く、川田順=本社常務理事、後は歌人、鷲尾勘解治=別子鉱山専務、古田俊之助=第七代総理事、北沢敬二郎=本社理事、後の大丸社長など。他に建築家の長谷部鋭吉・竹越健造ら、教育関係では、江原万里=東大助教授、矢内忠雄=東大総長も、住友に籍を置いた。

この中で、第六代総理事となる小倉や別子鉱山のトップとなった大平と鷲尾は、上司である鈴木馬左也総理事について評しており、馬左也の人物像の一端を伺い知ることができると前出の末岡氏はいう。
「小倉は馬左也の下で仕事していたが、こう言っているんですね。『鈴木さんは、人を信頼するまでは種々細かい事を言われたが、一旦信頼したら徹底的に信頼され、絶対任せっきりで何も言われなかった』と語っています。
また大平も四阪島製錬所に、大量の資金をつぎ込んで設備を更新し、新居浜から当時世界最長二十キロの海底ケーブルを敷こうとしたが、社内から異論が噴出。だがこの時も馬左也はあくまで大平を信頼し、事業を貫徹させて、経営的にも揺らいでいた別子鉱山を蘇らせました。また、鷲尾も採鉱課勤務の頃、直属の上司に別子の労使関係の改善を申し入れ拒否されたが、馬左也はこれを採用したばかりか、鉱夫たちの私塾開設に賛同し、自ら『自彊舎(じきょうじゃ)』と命名したほど若手の意見に耳を傾けた。鷲尾は『士は己を信ずるものの為には命をも致す』と感激し、あらためて馬左也への尽力を誓ったのでしょうね」

また、こんなエピソードも残されている。「一人の天下の人材を取り逃がすための損失は永久であり、測り知る可らざるものがある」とし、馬左也は住友の採用試験は必ず面接し、受験者一人一人と口頭試験をするのが常だった。
そして新入社員はすべて本店の一括採用として別子鉱業所、伸銅所、肥料製造所などの直営店部や、住友銀行、住友製鋼所、住友電線製造所などの連系会社に配属したという。その際、どの店部・連系会社であろうとも待遇は同一にして、住友の人材が適材適所で活躍できるようにした。

寧静寮にて寮員と共に
写真提供 住友史料館

さらに大阪鰻谷の旧住友本邸跡に「寧静寮」と言う新入社員の独身寮を建て、寮名は勿論、馬左也が三国志の「寧静に非ざれは 以って遠きを致すなし」を引用した。
「将来を託す若い人材の育成の思いを込めていたのですね。その寮には時々泊り込み、訓辞をしたり、若者と国家の事、実業の事など忌憚無く論じ合う。そうした事で若者の心を掴みながら、能力を十分に発揮させていったものと思います」と末岡氏は語る。

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