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グループ広報誌「すみとも-Sumitomo Magazine」

すみともインタビュー 4

原爆を乗り越えて

末岡 最後に亀井さんが人生で最大の危機を感じた話をうかがいたいんですが。
亀井 私個人ですと、昭和20(1945)年の8月6日でしょうか。広島で被爆したときです。原爆直下の広島城の中にいました。
末岡 えっ、そんなところにいらしたんですか。
亀井 空中で爆発したところから直線で300メートルぐらいですな。日清戦争の大本営跡が将校宿舎になっていて、そこで朝飯を食べているときにバーンと。だから身体じゅう傷だらけで−−。
末岡 そのときに一緒にいらした方たちは?
亀井 将校10人のうち、私だけが梁と梁の間で生き残った。翠町にあった家に、なんとかその日の夕方たどり着き、2日ほど寝て、また出勤しました。電車も何もないから歩いてね。でも8月の末から原爆症が出てきた。頭の毛が抜ける、40度の熱がひと月以上続く。10月の初めころですか、住友病院の山崎院長が看護婦を連れて、わざわざ診にきてくれました。白血球を計ったら2100ぐらい。2000を割ったら死ぬという。とにかく養生しなさいといわれました。でも当時は養生しようがなかったのですが、不思議に生きのびたのです。
末岡 あのとき、広島の住友銀行は残ったんですね。
亀井 そう。中は焼けてね、鉄筋コンクリートだけのがらんどうでしたが。その後、九州の家内の実家で半年静養したとき、わざわざ大阪本社の人が、リュックサックいっぱいのカンフル剤やビタミンをもってきてくれました。これが住友精神かと驚くとともに、今でもこのときのことは恩義に感じています。

Kamei Masao
リュックサックいっぱいのカンフル剤やビタミン・・・・・。
これが住友精神かと驚き、今でも恩義に感じています。

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