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住友活機園

伊庭貞剛(いばていごう)について

弘化4年(1847) 1月 伊庭貞隆・田鶴の長男として生まれ、近江国西宿村(現在の滋賀県近江八幡市)で育つ。児島一郎道場で剣道を学び、20歳で免許皆伝。また、西川吉輔の「帰正館」に入り尊皇思想を学ぶ。
明治元年(1868) 師西川吉輔の求めに応じ京都御所禁衛隊に入隊。
明治2年(1869) 京都御留守刑法官少監察に就任。その後司法省検事、函館裁判所副所長、大阪上等裁判所判事等を歴任。
明治12年(1879) 官界に失望して辞職。叔父広瀬宰平の勧めで住友に入り、大阪本店支配人となる。剣道・国学・司法界で培った才能と教養、寛容な人格により次第に周囲の人望を集める。
明治15年(1882) 大阪紡績(東洋紡の前身)を設立。
明治17年(1884) 大阪商船会社を設立。
明治20年(1887) 活機園の土地を購入。
明治23年(1890) 滋賀県選出初の衆議院議員となる。(住友家12代・13代家長の相次ぐ死去により、公職を辞任。)
明治27年(1894) 別子銅山の紛争解決のため、鉱業所支配人として単身赴任。植林にも心血を注ぎ、6年間に220万本を植栽。(後に「わしの本当の事業といってよいのはこれ(植林事業)である。わしはこれでよいのだ」と語っている。植栽地は現在の住友林業別子山林。)
明治27年(1894) 初代総理事広瀬宰平の引退に伴い別子支配人在勤のままその地位を引き継ぐ。住友近代化に着手。
明治28年(1895) 住友銀行を設立。別子銅山の煙害克服のため、製錬所を四阪島へ移転することを決定。(わが国公害対策の原点)
明治30年(1897) 住友伸銅場(住友金属・住友電工・住友軽金属の前身)の設立。
明治32年(1899) 住友倉庫を設立。別子支配人の職を鈴木馬左也(後の3代目総理事)に譲り新居浜を離れる。日銀を辞職した河上謹一他数名を住友に招聘。
明治33年(1900) 二代目総理事に就任。
明治37年(1904) 活機園を建設し「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」と、58歳で隠棲。
大正15年(1926) 10月23日没。数え80歳。伊庭家墓所に埋葬。

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