このとき、古田総理事が出資者である住友家への配慮に心を砕いたことはいうまでもないが、それ以上に重視したのは、住友の事業の継続とその基礎となる人材の離散を防ぐことであった。古田は敗戦直後に、「祖国を背景とする住友の事業が、祖国と運命を共にする事はまことに止むを得ないことだが、然し其の再生の順位は先ず事業と従業員を先にし、心苦しいけれども住友家のことは次にすべきだと私は考える。総理事としての私の責任は重大であり、住友家に対して申訳ないけれども、住友を救う途もこれより外にはない」と、友人であった山本為三郎(後に朝日麦酒社長)に、その決意を語っている(『古田俊之助氏追懐録』1954年)。