亀井:
当時の住友本社は、直轄の事業所とかを除くと、全部でせいぜい500人ぐらいのシンプルな組織でした。輸出入などはすべて三井物産へお願いしていました。今、住友と三井が一緒になるのを不思議に思われる方もありますが、戦前、住友は商事部門で三井さんと組んでいたのですよ。
末岡:
江戸時代の銅は、幕府が買い上げて輸出するためのものでしたから、住友の事業は半官半民のような仕事でした。幕末期、三井さんも幕府の財政の一翼を担っています。幕末に住友が経営難に陥ったとき、三井さんに助けてもらったこともあったようです。それから明治になると、親戚どうしにもなっていますね。
亀井:
私が入社したときの総理事が小倉正恆(第6代総理事、1875年から1961年)さんで、在阪の新入社員を全部本社へ集めて訓示があったのです。そのときの話が「金もうけせよ」ではなくて「人間を磨け」という話でした。これは変わった人だなあという気がして、記憶に残っています。
末岡:
そうですか。
亀井:
小倉さんについて私が感心したのは、昭和16(1941)年に近衛内閣の国務大臣になられたときのお別れの挨拶です。本社の社員と在阪各社のトップを集めて「自分は昭和5(1930)年に総理事になり、昭和16年末まで11年間住友グループを指導してきた。その間、自分は事業を起こすにあたって、利益になるかではなく、そのときにそれが道義にかなっているかどうかということをいつも考えてきた。そうすれば間違いがない。くどいようだけれども、ひとつの道義があって事業を起こす。後輩の皆さん方も、これはぜひ守ってもらいたい」といわれたのです。私は入って2年目だったんですが、大所高所からものをいわれるなあと。今、小倉さんの気持ちが痛いほどよくわかる気がします。
末岡:
住友の初代・住友政友(1585年から1652年)の文殊院旨意書が、事業精神に流れているんでしょうね。