初代総理事・広瀬宰平が座右の銘とした言葉。「本当の忠義とは、上司や主君の命令、たとえ国家の命令であっても、それが主家のため、国家のためにならなければ、敢えて逆らうことあるべし」という強い意志を表している。これは中国の古典『説苑(ぜいえん)』に出てくる言葉のひとつで、対極にある言葉は「従命病君、為之諛(命に従いて君を病ましむる、之を諛と為す)」。広瀬は、ただ命令に従い諛(へつら)うのではなく、主家のためにならないことにははっきりと意見してこそ本当の忠義であるという姿勢を持ち続けた。
もともと住友には自由闊達な意見交換を重んじ、身分の上下に捉われずに進言を聞き入れるという伝統の精神があった。家長たちもこれを尊重し、文政11(1828)年に9代家長・友聞(ともひろ)は「住友家では新古老若の区別なく、住友家のために有益であれば、ささいなことでも上申すべきである。たとえその意見を採用しなかったとしても、その忠志には心から感謝するので、遠慮なく上申すること」と家人に申し渡している。
こうした家風の中で、広瀬も初代総理事となる前から「逆命利君」を貫いた。明治元(1868)年、大阪本店の重役たちが別子銅山を売却しようとしたとき、当時まだ別子銅山支配人だった広瀬が、真っ向から反対。重役たちと激論を交わし、銅山で働く人々と住友の将来のために売却を食い止めた。このとき広瀬が反対していなければ、後の住友の繁栄はなかったかもしれない。保身を省みず、重役に逆らってでも主家のため、働く人のため、広瀬は「逆命利君」を実践した。