江戸時代の禅僧・東嶺円慈(とうれいえんじ)が『宗門無尽燈論(しゅうもんむじんとうろん)』という本の中で書いた言葉。二代目総理事・伊庭貞剛は、これを座右の銘とした。「立派な人物は、財産を愛すものである。企業―働く―ということは、儲けるために働くのであって、恥ずかしいことではない。これは大事なことである。ただし、お金の儲け方には“道”があり、人の道に反してはいけない、モラルにかなう儲け方をしよう。そして儲かった金は、ちゃんとした使い方をしよう」という思いからである。
伊庭が煙害問題対策で四阪島に製錬所を移転したのも、この思いがあったからだ。水も出ない無人島に、港湾施設を建設し、社宅・学校・病院…と生活に必要なインフラを整備。地域の人々のため、新たな町づくりから始めるなどというのは、当時ではありえない決断だった。