「国土報恩」
こくどほうおん

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一度、荒廃した別子銅山は100年かけて再生。現在は緑が生い茂る

故事成語に「報本反始(ほうほんはんし)」という言葉がある。「根本に立ち返ってその恩を改めて肝に銘じ、天地や先祖の恩恵や功績に感謝し、これに報いる決意を新たにする」という意味だ。これにならって住友は同様の意味を持つ「国土報恩」を理念として掲げている。

二代目総理事の伊庭貞剛は、煙害問題で荒れ果てた別子の山を見て次のように考えた。「別子の全山は古来鉱山の作業に欠くべからざる木材、および木炭用として、乱伐に次ぐ乱伐を以てした結果、かつて積翠(緑)ゆたかなりし山山は、みるかげもなう憔悴し、年年出水(洪水)のため、荒れにあれた山肌は到るところ、磽かくたる(やせた)地肌を露出していた。寛厚(寛大で温厚)な自然が、人間のほしいままなる営為を咎めず、いきどおらず、一木一草、惜しみなく与えつくしてくれた、その洪恩(大きく深い恩恵)をおもっては、このまま別子の山を荒蕪の(荒れ果てた)ままにまかしておくことは、天地の大道に背くのである。どうかして乱伐のあとを償ひ、別子全山を旧(昔)の“あをあを(青々)”とした姿にして、之を大自然にかへさねばならない」

このように国土報恩の理念に基づき別子の山を少しでも元に戻そうと、明治27(1894)年、伊庭は「大造林計画」を開始する。三代目総理事・鈴木馬左也がその思いを引き継ぎ、多い時では年間200万本以上の木を植林。約100年かけて森を再生した。

晩年の伊庭は、よみがえった緑の山を見て、別子の植林こそが「わしの、ほんたう(本当)の事業」と述べたという。現代で言うところの企業の環境対策を先取りしたものといえるだろう。

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