住友最大の危機が訪れたのは1945年のこと。8月15日、第二次世界大戦の敗戦に際し、住友七代目総理事として古田俊之助は財閥解体を迫るGHQ(連合国軍総司令部)との交渉を進めた。そして住友の事業と人を守るため、翌年1月に住友本社の解散を決断。①鉱山部門を井華鉱業へ、林業部門を四国林業などへ移管(譲渡)する。②本社が保有する連系会社の株式は政府指定機関に引き渡す。③本社役員は自ら退任し連系会社の役員も辞任する。④連系会社は自主独立の会社として経営を継続。⑤各社は「住友」称号を変更すると公表した。
そして古田は総理事退任の時、連系各社の社長と本社社員を集め、本社解散後の各社の関係について以下のように語った。
「申すまでもなく、住友の各事業は夫々(それぞれ)の因縁があり、所謂(いわゆる)“元”あつて分進してきた親兄弟の間柄であります。切つても切れぬ血の繋りがある兄弟であります。したがつて其の経営は、形の上に於て、何れも独立して居ると申しましても、兄弟分であることを飽く迄も失はない様に、精神的に提携してやつて頂き度い」
この言葉には「営利だけを目的とせず、正しい事業を進め、いつでも誠実に生き、廉恥を重んじる」という江戸時代から続く住友の事業精神を、たとえ経営上のつながりがなくなっても失わぬようDNAとして共有し、守り伝えてほしいとの願いが込められていた。
今、住友グループ各社がそれぞれ事業にまい進できるのは、この古田の教えを守り、各々が相互に協力しながら日本の再建に努力することを誓ったからである。