「御先祖御取立被成置候 商売仕方之儀は毎日主従争論(中略)先前より御流儀ニ而候事」

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1726年5月、本店支配人・泉屋七兵衛の意見書。

1726年、住友本店の元支配人・泉屋七兵衛が、住友家5代目当主となった友昌への意見書に記した言葉である。

「先祖が取り立てた商売の仕方は、毎日主従が争論を以って議論し、諸国から諸問屋へ着船した銅はもちろんのこと、錫・鉛・鋳くずし銅にいたるまで、当所の相庭(相場)を考え、たとえ少量であっても手代が駆け回って競り買いし、日々の利益を決定する。これが住友家の『先前(先代以来)より御流儀』である」というのだ。これは、主人と奉公人の間であっても自由闊達な意見を上申することを尊重する、創業以来の事業精神のことを述べている。経営の現場を仕切る人物(七兵衛)が当主に対し、このように意見を述べるところがまた住友らしいといえるだろう。

その後も時代とともに家政改革と家法の整備が進められたが、この精神は消えることはなかった。1750年には、5代目・友昌の弟・友俊が、大坂本店の奉公人宛てに全19カ条の家法を通達。その中の一つに「善悪にかかわらず、よりよい方法があると思えば、遠慮なく申し出なさい。仕事に関する提案は、決して謙虚・遠慮のないように」とある。

さらに1828年には、住友家9代目当主の友聞自らが「住友家では新古老若の区別なく、住友家のために有益であれば、ささいなことでも上申すべきこと。たとえその意見を採用しなかったとしても、その忠心には心から感謝するので、遠慮なく上申すること」と残している。

従業員の自主性を重んじ、どんな職位であろうが社員の意見は受け入れるという考えが、住友グループ各社に根づいている。

泉屋 七兵衛(いずみや しちべえ)
?~寛延元年(1748年)
住友家に4代仕えた七兵衛家の初代であり、大坂本店の支配人として活躍。元禄7年(1694年)の別子銅山大火災で別子支配人杉本助七ほか132人が焼死した際、その復旧支援に駆けつけた強者であった。元禄から享保期(1688~1735年)の経営難に立ち向かった経験から、住友古参の手代として当主に諫言したのが本書である。
参考文献:住友史料館編『住友の歴史』上巻・下巻、末岡照啓「近世中期住友の家政改革と入江友俊」(『住友史料館報』第44号)

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