1702年頃、住友家第4代・
①別子銅山の涌水排出費を削減するために標高の低い立川銅山側へ排水坑道を拓く。②新居浜浦へ新たな物資運搬路を開設する。③坑内の支柱や製錬燃料として、最寄りの旗本一柳領の山林を利用する。④別子銅山の永代経営権を保障する。⑤経営資金の借用願い。
以上5つの項目は、いずれも経費節減策と経営の助成願いである。この重要な交渉を前に、当時隠居の身であった第3代・友信が、嫡男の友栄と番頭の五兵衛宛に手紙を送り、幕府との交渉の際の心構えを説いたのが、上の言葉である。
その意味は、「焼いた鳥は絶対に飛ばないが、それでも飛ぶことがあるかもしれぬと、鳥の足にへを(捉緒)をつけるがごとく、念には念を入れなさい。慎重に慎重を重ねて交渉するべきだ」というもの。
ひとたび失敗すれば、別子銅山そのものを幕府に取り上げられかねない重要な交渉だっただけに、住友の事業精神でもある「信用を重んじ、確実を旨とする」を改めて息子に伝えたのだ。
このように「信用・確実」の教えは、江戸時代から脈々と受け継がれる、住友の事業精神である。いつの時代もビジネスは「信用」を土台に、交渉の詰めを確実なものにして、念には念を入れる仕事をしなければいけないということだ。