住友家の分家である理助家初代・友房が、1758年に亡くなる前に残した書置きの中の言葉。彼は分家の子ではあったが、幼い頃に実家の商売が立ち行かなくなり、本家に引き取られ、自身は丁稚奉公から這い上がった苦労人である。1721年、住友家から分家を許されると、住友理助家を興し、鉄商を営んで大いに繁栄した。
友房は次のような辞世の句を残した。「あしかれと 思はされともよしもなく 浪花も満つる 恨みも残らす」。意味は「私の人生は良くも悪くもなかった。なにわ(注:難波江。大阪湾の古称)の潮が満ちるように(すべてが波間に消えて)なんの恨みもありません」
これに対し、以下のように続けている。「現在の果てを見て、過去未来を知るといへは、常にこヽろを信にして家名を失ふ事なかれ、日々に富みせはなにかあらん、かへすがへすもよこしまなるわさは、かたくあるましけれ」
現在から過去・未来を見通して、常に心を誠実にしておけば、家名を失うことがない。邪心な方法で、目先の利を追うような商売すれば、後に家名も財も失うと、堅く禁じたのである。
この書置きの軸装には住友家初代当主・文殊院嘉休(住友小次郎政友)の帯切が使われている。「商事はいうに及ばず候えども、万事精に入らるべく候」(商売は言うまでもないが、どんな事柄についても、相手の身を思いやり、心をこめて行うことだ)という初代の教えを、今に生きる私たちもにも説いている。