住友政友(すみともまさとも)
(1585年~1652年)
天正13年(1585年)、越前・丸岡(福井県丸岡町)に武家の二男として生まれ、 12歳の頃京へ上りました。
両親の宿願により涅槃宗(ねはんしゅう)という新しい宗派をたてていた僧・及意上人空源(ぎゆういしょうにんくうげん)に弟子入り、空禅(くうぜん)と号して熱心に修行し、やがて文殊院の称号を得ます。しかし、涅槃宗が幕府の宗教政策により天台宗の一派とされたのをいさぎよしとせず、僧籍を離れ、京都の仏光寺烏丸(ぶっこうじからすま)東入ルで「富士屋(ふじや)」の屋号で書物と薬の店を営みました。
寛永年間、政友45歳のころです。
政友が出版した本で今に伝わっているものに「往生要集(おうじょうようしゅう)」(僧源信の著になる仏書)「御成敗式目」(鎌倉幕府が制定した法典)などがあり、薬種商としては万病薬として有名な「反魂丹(はんごんたん)」の看板が残っています。
僧籍を離れても信仰心の厚い政友を慕って教えを請う人は多く、政友は、それら門徒や家人にあてて、「文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)」「遺戒(いかい)」など多くの書簡を遺しています。
政友の教えは、「正直、慈悲、清浄」を基本に、神仏を敬い、事に当たっては 慎重確実を旨とし、倹約を怠らないことを教えています。これらの精神は、永く受け継がれ、住友の「企業精神の根幹」となっています。 政友は、63歳で嵯峨清凉寺のそばに雙軒庵(そうけんあん)を建てて隠棲、慶安5年(1652年)68歳で亡くなり、京都寺町高辻の永養寺に葬られています。