このような時代に登場したのが伊庭貞剛です。伊庭貞剛については、皆さんもあまり詳しくお聞きになったことがないと思いますので、少し詳しくお話ししたいと思います。
伊庭貞剛は、幕末の弘化4年(1847)、宰平の生まれた家で生まれました。貞剛のお母さん(田鶴)は、宰平のお姉さんです。貞剛と宰平は19歳違いますので、貞剛が生まれた時、宰平は丁稚奉公に出て、別子銅山に来ていますので、会ってはいません。そして貞剛が7歳の時に、許されてお母さんと共に近江八幡の父(貞隆)の元に帰ります。展示してある「誕生祝儀帳」は、貞剛が伊庭家の嫡男として親類・縁者に披露されたこの時のものです。伊庭家は、近江の佐々木源氏の流れをくみ、かつて近江の南半分を支配した六角佐々木氏の重臣の家柄でした。しかし、六角佐々木氏が織田信長に滅ぼされ、各地を転々とした後、近江八幡の西宿に落ち着きました。