そして、故郷に帰る挨拶をしに大阪の住友家総理代人であった叔父の広瀬宰平を訪ねたところ、広瀬は、「30歳そこそこで故郷に帰るのはもったいない。実業の世界でもやることはたくさんあり、実業の世界でも国のために役に立てるんだ。」と持論を述べます。私が広瀬宰平の言葉の中で、好きのものがあります。明治20年の別子山上での演説ですが、その中にこうあります。「そもそも諸子が初めこの山に来たるや、決して偶然にあらず、必ず各々目的あり、目的とは何ぞや、即ち勤勉以て国家を益し、節倹以て己が光栄を計ること是なり」つまり、別子銅山に来た人たちに、「あななたちが別子銅山に来たのは、ただ漠然と来たわけではないはずだ。みんな目的意識を持ってきたはずである。それは、別子銅山で働くことで、国家の役に立ち、自分の生活も豊かになるのだから、決して偶然ではない。だから意義をもって働きなさい。」と言うわけです。つまり宰平は、目的意識を植え付ける人です。われわれも、日々漠然と働いていますが、時には「自分は何のために働いているのだろう」ということを、考えてみる必要があるのではないかと思います。ですから、私はこの言葉が大好きです。働くための意義、食べるためだけではないという気概です。宰平は、それと同じことを伊庭貞剛にも言うわけです。「ひとつ別子銅山で働いてみないか。きっと国のために役立つから」と。それで貞剛は承知するわけです。