愛媛県新居浜市の南東に位置する別子銅山は、1690年(元禄3年)に発見され、翌1691年に開坑しました。以来、1973年(昭和48年)に閉山するまで、江戸・明治・大正・昭和の4時代283年にわたり、銅を産出し続けました。
海抜約1,200mの地点から採掘が開始され、最終的には海抜マイナス約1,000mまで、営々と掘り続けられました。
開坑から閉山まで一貫して住友が経営した、日本はもとより世界でも例のない銅山であるため、普通なら散逸していてもおかしくない数々の貴重な史料を見ることができます。
館内は5つのコーナーに分かれており、1.住友の歴史を紹介する「泉屋コーナー」、2.銅山の開坑から最近の関連事業まで裾野を拡げた「歴史コーナー」、3.鉱石などの「地質・鉱床コーナー」、4.ここで働いた人たちの生活をしのばせる「生活・風俗コーナー」、5.西洋の技術が導入されて以降の機材が並ぶ「技術コーナー」があります。
1893年(明治26年)開通の鉱山専用鉄道用にドイツから購入した第1号蒸気機関車や、江戸時代の長崎貿易(輸出)用の御用銅など、貴重な歴史遺産を見ることができます。また、全長約700kmに及ぶ坑道の模型は圧巻です。
建物は、別子銅山守護神が奉祀されている大山積(おおやまづみ)神社境内にあり、鉱山をイメージして、半地下形式となっており、屋根は全面がサツキで覆われています。1691年(元禄4年)5月の銅山稼行認可を祝するかのように、毎年5月には花が満開となり、今や新居浜のサツキの名所としても親しまれています。