伊予(松山)の赤石山系の中で発見された大鉱脈が眠る山。別子銅山の採掘を幕府に出願した住友家は、許可が下りた元禄四年(一六九一)八月、開坑にこぎつけた。
住友四百年の歴史の中で、大飛躍に向けた記念すべき年といえる。そして、この開坑から三百年あまりの昭和四十八年に閉山するまで、幾多に及ぶ苦難を乗り越えながら日本屈指の銅山として君臨してきた“宝の山”だ。 そんな変遷を記し、一大産業遺跡として今に伝えているのが新居浜市内にある「別子銅山記念館」。そして幕末から明治にかけて、住友家で采配を振った別子銅山の支配人(後、総理事)広瀬宰平(ひろせさいへい)を顕彰する「広瀬歴史記念館」の二つがある。