正門をくぐると、町並みの喧噪が消え、鳥のさえずりや虫の声に包まれた幽邃(ゆうすい)な空間が広がる。
穂先を残すクロチクが茂る前庭を抜けて玄関へ進む。主屋に上がり、廊下をしばらく進むと、客間として使われていた主座敷に出る。東と南に大きく開口部を持ち、赤松の枝越しに主庭を奥まで見渡せる開放感のある空間で、廊下の暗がりとの対比が鮮やかだ。
清風荘のもっとも大きな特長は、庭園と建物が一体となって創出される自然の風情の味わいだ。本来和風建築は、庭が主役であり、建物は庭を愛でるための舞台装置という関係にある。住まいとしての機能を優先すると、庭の舞台装置としての機能は低下せざるをえないが、西園寺公望と住友友純の意を汲んだ大工棟梁二代目八木甚兵衛、庭師七代目小川治兵衛(植治)が手を携え、端正な数奇空間として仕上げた。
数寄の名工として知られる八木甚兵衛は、自然の造形の美を意匠に反映させる優れた技の持ち主だ。バランス感覚にも優れ、節目をあえて強調するなど、材の特長を引き出しながらも、住まいとしての実用性ともうまく調和させる。結果として清風荘は、数ある近代数寄屋建築のなかでも傑出した上品さを備え、落ち着きのある佇まいを創出している。
正門をくぐると、町並みの喧噪が消え、鳥のさえずりや虫の声に包まれた幽邃(ゆうすい)な空間が広がる。
穂先を残すクロチクが茂る前庭を抜けて玄関へ進む。主屋に上がり、廊下をしばらく進むと、客間として使われていた主座敷に出る。東と南に大きく開口部を持ち、赤松の枝越しに主庭を奥まで見渡せる開放感のある空間で、廊下の暗がりとの対比が鮮やかだ。
圧倒されるような派手さはないが、天井板には屋久杉、床柱は北山杉、床の間は玉杢(たまもく ※)の一枚板と、希少な材がふんだんに用いられ、欄間の縁には竹を使うなど、趣味の良さが伝わってくる。
※ 渦巻を連ねたような 美しい木目。
居間は、六畳の小じんまりとした空間。磨き丸太やなぐり材、皮付き材がさりげなく使われ、野趣を醸し出している。その風情をより強めているのが、深く差し掛けた庇(土庇)。庇の作りだす室内的外部空間が居室と庭との連続性を生むとともに、低い軒先が視点を下げさせ、近景の燈籠や手水鉢に目を留めさせる。庇を支える捨柱は節目をちょうな(釿)で削っただけのシンプルな意匠。土台に据えられた根石の変化に富んだ表情は、庭石そのもので、息の合った大工と庭師の姿が目に浮かぶようである。
離れの二階屋は、公望の居室として使われていた。一階の天井には手の込んだ猿頬竿縁(さるぼうさおぶち)、欄間には八木甚兵衛が得意とした櫛形の意匠が用いられ、床の間の丸窓と相まって端正な空間が広がっている。南面の縁側は、化粧軒裏となっており、ここも庭との連続性を強く感じることができる。磨き上げた一本杉の軒桁、その上に整然と並ぶ磨き丸太の垂木も美しい。
二階からの庭の眺めは格別だ。床までガラス窓とし、座敷の中央に座っていても、吹き抜ける風をほおに受けながら、芝生越しに池、築山を望むことができる。竣工当時は、東山一帯を一望したといわれ、近代和風建築の大きなテーマの一つでもあった眺望へのこだわりを感じさせる。
天井は霧島杉、床は枇杷、そして欄間には桐の芯落ち材が使われている。通常なら、桐の芯落ち材は捨てられてもおかしくない部材だが、八木甚兵衛はいつかこれを使おうと買い求め、密かに機会を待っていたという。そして、庭と建物が一体となったこの邸こそ、ふさわしい場所と思い定め、欄間の優れた意匠として仕上げている。
庭園を作庭した小川治兵衛(植治)は、近代庭園の先覚者として知られる。高いデザイン力に加え、時代の流れを読む先見性、施主の意を汲み取る理解力とセンス、さらに必要なら自ら作庭用地を確保するなど大胆かつ実行力に富むプロデューサーであった。
その最大の功績は、近世以前の日本庭園の象徴主義的なデザインを払拭して、自然主義的な風景を目指す流れを作ったことにある。
従来の日本庭園がこだわってきた景勝地の風景の表現に背を向け、誰もが見覚えある田園や山里の風景の表現を目指した。しかも、散策を楽しめる空間として、ただ眺めるだけだったものから、五感で味わえる空間へと変貌させたのだ。
清風荘庭園にも、植治の作風はよく現われている。
中門をくぐりわずかにカーブする石畳を辿り、茶室を目指す。石畳にはところどころ赤い石が使われ、訪れた人を楽しませる。茶室の脇には、流れが配され、かすかな水音が耳に心地よい。
流れを越えて築山へ進むと、アカマツの群植と低木のモチツツジが迎え入れてくれる。庭園から望める東山は、かつてアカマツ林が広がっていたとされ、その遠景と渾然一体となった景色を作り上げている。木立の間を縫うように進むと、虫や鳥の声はいっそう大きくなり、木々と土に醸された香りが、鼻孔をくすぐる。上り下りを繰り返す苑路は、里山を歩くようで、ときに分かれ道に立つと、迷わぬようにと感覚が呼び覚まされていくのを感じることができる。
軽やかな水音に誘われて沢飛びを渡る。この親水空間の造形こそ植治の真骨頂だ。沢飛びは、踏み外せばそのまま水中に転落するという緊張感を伴うが、一端が微妙に高くなった飛び石を配するなど、さりげない工夫で軽妙な動線を創出している。
芝庭に立つと、池を近景に、東はアカマツのスカイライン越しに大文字山を望む。池の周りに据えられている白と黒の層状の石は守山石。滋賀県の限られた地域に産出する庭石で、植治は好んでこれを使っていた。当時完成したばかりの琵琶湖疏水を利用して京都まで運ばれたもので、ここでも植治の実行力が発揮されている。
中島に向かって、対岸から桟橋のように少し張り出すように大石が配されている。水面に映る木々や月を、間近に楽しめる趣向だ。
造園の仕上げに、植治は、池に雑魚を入れ、流れに蛍を放った。まさに山里の自然の豊かな趣きが、そこにデザインされていたのである。