住友の歴史は、17世紀の寛永年間に住友政友(まさとも)が京都に書物と薬の店を開いたことに始まります。
政友は商人の心得を説いた『文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)』を残し、その教えは今も「住友精神」の基礎となっています。
同じ頃、京都で銅吹き(銅精錬)と銅細工業(屋号・泉屋)を営んでいた政友の姉婿、蘇我理右衛門(そがりえもん)は、南蛮人に聞いた粗銅(あらどう)から銀を分離する精錬技術「南蛮吹き」を苦心の末開発しました。
蘇我理右衛門の長男で政友の娘婿として住友家に入った住友友以(とももち)は、大坂に進出、父理右衛門と協力して同業者に「南蛮吹き」の技術を公開しました。これにより住友・泉屋は「南蛮吹きの宗家」として尊敬され、同時に大坂はわが国の銅精錬業の中心となりました。
江戸時代の日本は、世界有数の銅生産国であり、友以は銅貿易をもとに糸、反物、砂糖、薬種などを扱う貿易商になり、さらには分家が両替商も開業し、泉屋は「大坂に比肩するものなし」と言われるほどに繁盛します。