名刹石山寺を抱く伽藍山を仰ぎ、近江八景の瀬田の唐橋、そして琵琶湖を遠望する。
活機園の最大の魅力は、この佳景にあるといっても過言ではない。住友第二代総理事伊庭貞剛が、終の住処としてここに移り住んだのは、明治37年(1904年)。以後大正15年(1926年)に亡くなるまで、建物と庭、 庭と景観がゆるやかなリズムを奏でて連なるこの屋敷で、静かな余生を営んだ。竣工から100年を超え、石山の町並みはにぎわいを増したが、 活機園はガラス1枚に至るまで当時のままに、瀬田川と伽藍山を見つめ続けている。
格調高い洋館と重厚な和館からなる和洋折衷建築の面影を写真で辿ります。
名刹石山寺を抱く伽藍山を仰ぎ、近江八景の瀬田の唐橋、そして琵琶湖を遠望する。
活機園の最大の魅力は、この佳景にあるといっても過言ではない。住友第二代総理事伊庭貞剛が、終の住処としてここに移り住んだのは、明治37年(1904年)。以後大正15年(1926年)に亡くなるまで、建物と庭、 庭と景観がゆるやかなリズムを奏でて連なるこの屋敷で、静かな余生を営んだ。竣工から100年を超え、石山の町並みはにぎわいを増したが、 活機園はガラス1枚に至るまで当時のままに、瀬田川と伽藍山を見つめ続けている。
正門をくぐると、砂利の小径が茂みの奥へとのびる。誘われるままに苔むす杉木立を逍遥し、小坂を登っていく。と、突然景色が開け、芝生越しに瀟洒な洋館が現れる。訪れた者は、施主 貞剛の演出を大いに楽しんだことだろう。洋館の設計は、中之島図書館を手がけた住友家の技師・野口孫市。中世以降のヨーロッパ北部に多く見られるハーフ・ティンバー(※1)様式を基調とし、アールヌーヴォー(※2)調の意匠と和のテイストを効果的に組み合わせ、品格を醸し出している。
※1 柱・梁等の木造軸組構造を外部に露出し、その間を漆くい・レンガ等で充填した木造建築。中世以降のヨーロッパ北部に多く見られる。
※2 1900年前後のベルギー・フランスからヨーロッパに広がった新芸術の運動およびその様式。植物モチーフの曲線模様を多用するのが特徴。
併設される和館は、数寄屋建築の名手であった棟梁八木甚兵衛(二代目)の手によるもの。貞剛が支配人として勤めていた別子銅山を離れるにあたり餞別として送られた栂(つが)材をはじめ、良材がふんだんに使用され、その持ち味を活かした巧緻な匠の技が随所に見られる。客間と居間あわせて十六畳の座敷から望む庭には、明媚なモミジが枝を広げ、四季折々に壮麗なパノラマを描き出す。明治後期の大邸宅の姿を今に伝える数少ない例として、平成14年(2002年)に重要文化財に指定。建物に加え、「一体となって景観をなす」と認められた敷地および庭園も対象となっている。
所在地:滋賀県大津市田辺町10番14号
TEL:077-537-1568